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US-2(四万十へ@)

四万十の山奥へ行こうと思い立ったのは、当日の昼頃だった。
当初計画では、G109Bですでに九州四国へ展開しているはずであった。
10/26 大利根−名古屋
10/27 小牧基地航空祭撮影
10/28 岐阜基地航空祭撮影
10/29 名古屋−熊本
10/30 久住・学連西部支部大会撮影
10/31 久住・学連西部支部大会撮影
11/01 熊本−高知もしくは松山
10/02 半家天満宮祭礼
10/03 高知もしくは松山−岡南
10/04 岡山グライダークラブ撮影後−大利根

しかし、10/26も10/27も天気が悪かった。
そのうえ、月曜日10/29には、海自新鋭救難飛行艇US-2が新明和甲南工場で最初のIRAN(定期整備)を終え、領収飛行となる予定だった。
US-2のベースは海自岩国基地であるが、岩国に行ってしまうと、なかなか機会も少なく、離水着水シーンが撮りにくい。できるかぎり新明和から出てきたときに撮っておきたいのだ。

US-2の撮影には、自分でも驚くほど入れあげた。
「US-2がIRANに入っているよ」という話題は、その前の週の浜松基地航空祭(10/21)で事情通に教えてもらった。
「で、社内飛行はいつよ?」
「明日らしい」
ならばと浜松から東京へ帰るのを止め、神戸に行って泊まり、月曜日の朝は阪神電鉄本線深江駅からタクシーで神戸中央卸売市場へ行き、撮影できそうな場所を探して歩いてみたのだ。普通は自家用車かレンタカーで動くのだが、今回は徒歩である。
工場から「スベリ」を降りて、飛行機が船に変わる場所は分かる。が、もう少し背景が気の利いた場所があってもよい。
さらに南、阪神高速5号海岸線の東神戸大橋をくぐってUS-2は離水水域に向かうので、そのあたりでよい場所はないかとほっつき歩いたのだ。事前にグーグルアースで詳細な衛星写真をよく調べたのだったが、土地勘はなく、ほとんど各種の工場用地で塞がれ、護岸まで辿り着けるところがなかなか見つからない。1時間半も歩くと、大きく重い500mmレンズもあり、トータル20kgにおよぶカメラがことさらに重い。音を上げて、情報をくれた人に電話した。
「撮影ポイントが見つからない、参ったぜ」
彼と彼の仲間も、これは撮りたいと、遠路200kmちかい道を車を飛ばして向かっている。
「深江浜の高速を出た近くのコンビニで待っているから、拾ってくれまいか?」

努力はしたものの、結局この日は機体がコケたようで、姿を表さなかった。これが意地を張るきっかけだった。
マイナーなトラブルのはずだ。翌日か、翌々日には飛ぶだろう。翌々日のセンに賭け、一旦東京に帰り、いくつかのチャンネルを駆使し、いつ飛ぶかという情報を収集して出直すことにした。まがりなりにも「軍用機」の行動予定であるから、簡単に誰に電話すれば・・・・という訳にはいかない。

1日おいて24日に飛ぶらしいということが分かり、翌日のスカイマーク最終便で神戸へ行って泊まった。同社のこの路線は11月末まで、フルフェアで10,000円というバーゲン料金に助けられる。
この日も絶好の天気だった。朝、再び深江駅からタクシーを飛ばし、月曜日に教えてもらった撮影ポイントの護岸によじ登る。
この場所を教えてくれた人たちは、水曜日となると仕事があったり、岐阜基地航空祭の総合予行があり、そちらの撮影が忙しくて姿を現さない。たった1人で、いや、あまり上手ではなさそうな釣り人のオジサンと2人で潮風に吹かれる。

10時過ぎ、エンジン・ランナップが始まった。4発機であるためか、40分以上もかけて丹念に点検されているようであった。しかし動き出すはずの1100前にシャットダウン。またコケたのかと落胆したが、試験飛行は昼食後、というのかもしれない。行きがけにコンビニで買った握り飯を食い、腹を満たしてイライラを押さえ、待つことにする。

そうしてこの日、午後には念願の撮影が出来たのであった。とても都会的な背景のタクシーアウト、その2時間後の夕日の帰投、少し報われた気がしたが、離水シーン、着水シーンを見てしまうと、それはたぶん2km以上も離れていて、500mmレンズでもいかんともしがたく、至近の船から撮りたいなぁと再び意欲を出したのだった。
飛行艇は、必ず警戒船が先行して運用される。離着水の水路を確保し、確実な風向を知らせるため、水上で発煙するマーカーを投入するのが大きな仕事だ。
これに乗せてもらえないか?

再び手を尽くした。すると、それが叶ったのだ。その撮影が29日になったのである。
そこで小牧、岐阜の航空祭に次いで、月曜日、新明和の工場に出頭した。
「陸海空自衛隊機を掲載するカレンダーを撮っておられますよね、うちのUS-2は、いつ登場するのか、心待ちにしてたんですよ」
と受け入れの担当者に言ってもらえた。

実際のところ、水上機の撮影は難しい。滑走路のような「基準」となるものがなく、ましてやディスタンス・マーカーは望むべくもない。どこでフルパワーになり、どこで離水するのか、その見極めが非常に大切だ。
US-2は典型的なSTOL機だから、水煙が上がるやいなやエアボーンしてしまう。長玉を使えば背景を引いてしまって面白くないし、気弱にマージンをとれば、機影は小さく力のないものになってしまう。掲載予定が大判のカレンダーとなれば、画像のトリミングも極力避けねばならず、ドンピシャで決まった絵でないといけない。
緊張するねぇ。むろんズームだけど。

離水海域に到着し、しばしの待機のあと警戒船からマーカーが投げ込まれた。
船上でモニターするメーカー用VHFカンパニー周波数では、パイロットが風向について、やや疑念がある様子だった。たぶん、納得できるほどには風向を判断する煙が見えないのだ。
飛行艇にとって、離着水時に横風成分を残したまま動くことは安心できない要素である。滑らすことは、翼端フロートの損傷などを引き起こし、危険だからである。じつは知人も、小型水陸両用機で川に着水したとき、川の流れの方向と風向は往々にして一致しないものだから、滑った接水をした結果、翼端フロートを飛ばしてしまい、機体を水没させたことがある。

US-2は慎重に風向を見定めているようであった。そして離水方位を決定し、警戒船からはかなりの距離があったが、フルパワーとともに大きな水煙を上げ、一呼吸するとエアボーンしていた。
使ったレンズは単体300mmだった。背景の工場群が、もう少し水煙で隠れてくれると良かった。あれは「剣菱」か、酒樽の異様に大きな看板が無機質な背景の中でひとつ目立つ。これは左に流れていくが、ウッ、エアボーンちょっと待って、アッ、艇体が水面から離れた、波消し装置から吐き出された水が艇体から流れ落ちている。これが勢いあるうちに、「剣菱」が消えてほしい。慎重にしろ、慎重に。肩の力を抜け、力むな、力むと右手が下がる。下がると水平線が傾く。
2〜3秒の間にいろんなことを自分に言い聞かせ、離水を見守る。
それに比べれば、US-2は、「船」から全くの飛行機に、異様に軽々と変身していく。そのあっけなさが、この機体はいかにも感動的だ。

こんなことをやっていたものだから、久住には行けなかった。
そもそも前週G109Bでの出発予定日の金曜日も、小牧の土曜日も、およそVFRで県営名古屋に飛べる日ではなかった。それで、自家用機による行動を今回は一切止めたのであった。

久住のグライダーはスケジュール的に犠牲になったが、次第にもう一つの欲望が頭をもたげてきた。
半家(はげ)はどうする?


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