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予土線(四万十へA)

半家は「はげ」という高知県の地名である。
以前の幡多郡西土佐村のひとつの集落である。現在は中村市とともに四万十市となっている。ここの天満宮の秋祭りに、過去5年も6年も行ってみたいと念願していた。
というのは、勝手に標榜する「航空民俗学」の、ひとつの典型的な事例があるように思えたからである。
半家天満宮の秋祭りは、対岸の「御旅所」に「牛鬼」と御輿、そして「猿田彦」が渡御する神事である。対岸へは半家沈下橋を渡っていく。

わが国「最後の青流」といわれる四万十川は、全長196km、流域面積2270km2(全国11番目)、流水量全国3〜4番目という四国第2の大河であるが、本流にダムを持たず、源流は比較的海に近いところに発し、山間部を見事なほどうねうねと蛇行する。また、20数本におよぶ沈下橋の多いことも特徴である。

うねうねと蛇行する河川、これは上空からよく視認できる。それと同時に、川の曲流による半島のように突き出した台地と集落も、よく視認できる。
さて、必然こうした土地柄では橋がなければ交通は成り立たないが、そこで考えたいことは、間単に橋が架けられた時代だったか、である。
沈下橋は昭和30年代から40年代にかけて、すなわち戦後の貧しい時代を引きずっていた地方が、かろうじて作ることが出来た橋であるといえる。それまでは、渡船、引舟、筏橋、あるいはワイヤーで引き留めた板橋であったろう。これらは洪水における影響が甚大である。沈下橋は、洪水時のみ我慢すれば、また顔を出してくれる、欄干もない、沈むことを前提としたプリミティブな流線型のコンクリート建造物である。

飛ぶたびに上空から見た風景が物語るものを拾い集めたいのである。
多くのアマチュア・パイロットは飛ぶことを「目的」としている。目的のうちは、飛ぶこと自体が挑戦目標であり、飛べれば意志も満足も完結してしまうのであるが、飛ぶことが当たり前になれば、飛ぶことを「手段」にすることもできよう。それによってどんなことに触発されるか、それを考えてみたいのである。

関東から九州南部、宮崎や鹿児島に向かうとき、最短で行こうとすると、南紀白浜−室戸岬−足摺岬−宮崎、といったコースになる。これはうんざりするほど洋上である。特に足摺−宮崎は相当な覚悟がいる。しかも、区分航空図が中国四国と九州と、ここで分割されているから、なかなか間単には距離感がつかめない。
だから、高知から四万十の源流部を経由し、豊後水道の狭い部分を横切り、延岡あたりに出て変針し、南下することが順当だ。そんなわけで、半家周辺の上空を今まで何度も飛んでいる。そしてそのたびに、山間部を蛇行する四万十の流路に見とれている。
特徴ある風景には、特徴ある何かがあっておかしくないのである。

US-2の撮影とその後処理で久住のグライダーは諦めたが、半家には行けないか、どこかマグマのような気持ちが残っていた。
そんなさなかの10/31、三菱重工でIRANに入っていたF-2Bが社内飛行で離陸した直後に墜ちたのであった。こともあろうに、その機長は知人である。こうした事例に遭うたびに、次はオレかな、と覚悟する。幸いにして一度も機体を壊してはいないが、当事者にとってみれば、例外なく無事故が続いていて遭遇する状況なのだ。

翌木曜日はVFRは無理な日だった。そして金曜日になった。
朝から仕事に手がつかず、各種の時刻表に見入っていた。
金曜日1200には、この四万十川のある高知県西部の山奥にいたい。どうすれば行って帰ってこれるか。そもそもエアラインで行くには、どこが最寄りか?

「牛鬼」は宇和島の祭りで有名である。半家は高知県内であるが愛媛県宇和島から30数km、宇和島の文化圏なのかもしれない。ならば松山から行くか?
松山から入るにせよ、レンタカーなどで金をかけたくない。これはクライアントがいる仕事にはなっていないうえ、使う場合があったとしても半ページ程度のスペースだ。だから最安値ツアーを設定しなければならない。JRか。
とすれば1日のJRの本数は何本あるんだろ? え、予土線の端(宇和島)から端(窪川)まで行くのは10本しかないぞ。宇和島発1811が最終だ。これに間に合うエアライン便は、昼過ぎに乗らねばならない。1時間後2時間後じゃ無理だ。
そもそも目的地の半家に宿はあるか?

羽田から松山に飛んだにせよ、これは最終便しか選択肢がない。だからといって松山に泊まったら、祭りの始まるのに間に合うのか? 周辺取材を考えれば、なるべく朝早く半家に到着したい。エアラインの最終便に乗り継げるJR松山発宇和島行きの最終特急はあるのだろうか。運良く1本だけあった。
結論は、2257宇和島到着の特急「宇和海」に乗り、宇和島で1泊し、翌朝0611始発で半家へ向かうということになった。

帰りはどうする? 祭りが終わるのは1700として(実際は1530頃であったが)、金曜日の松山か高知の最終羽田行きには間に合うか? 間に合ったとして、空席はあるか? 週末で空席、ないねぇ、単身赴任者の帰京ラッシュなのか満席だ。しかも現地をJR普通の1532発に乗らないと、じつはこれでも怪しいが、最終の松山発羽田行きに間に合わない。1400頃に始まる祭りが1時間で終わるわけがない。次便は1726半家発だ。
では、松山に戻ってきてホテルに泊り、土曜日の始発で羽田に帰るか?

でもなぁ、航空券は29,400円だ。ANAもJALも特割でも24,400円。往きは今日のことだから仕方ないにしても、帰りもホテル代を加えて3万円超、往路帰路合計すれば8万円ちかくなるとなれば、とてもじゃないがやってらんない。

そこでひらめいた。過去2週間で神戸に3往復している。神戸発スカイマークの1万円があった。
そして、松山−神戸は大型フェリーがあったはずだ。そこで調べた。ピークシーズン以外は、1,000円出して「瀬戸内海倶楽部」のメンバーになると、「さんふらわ〜」は3割引だと。2等寝台8,000円が5,600円。ほな、ビジネスホテルに泊まるうちに神戸に着くということだ。そうすれば、スカイマークの1万円で帰京できる。するとほぼ半額になる。そのうち「さんふらわ〜」の目的港である大分や国東でも撮りたいものもあるし。
順々に予約可能か調べていく。え、SKYの0855発の便は、残り1席だと?

宇和島に着いたのは、深夜2257であった。駅の目の前のホテルに行く前にコンビニで何か口に出来るものをと思ったが、コンビニはその瞬間、閉店になった。あと、光がない。 ヤバイぜ、これは。地域の最大都市でこれである。翌朝、0611発の汽車の前にはホテルは朝食を出すはずもないし、23時前に閉店するコンビニでは、そんな早朝には開店もしないだろう。
目的地JR半家の周辺には、地勢的に店はないと覚悟した方がよい。しかも0744到着だ。そしてその上、神社まで約4kmを歩こうというのだ。考えてみれば、昼飯だってありつけるとは限らない。露店も出るような大きな祭りならよいが、たぶん期待薄だ。しかも、この日は昼抜き、羽田を出る前、搭乗口脇で高いだけの小さなスパゲッティを食ったのみだ。丸1日くらい食い物なしでも死ぬ訳じゃないぜ、と空元気を出す。

宇和島始発窪川行予土線始発列車は、列をなす車輌ではなく、1輌のワンマン・ディーゼルカーだった。通学に欠かせない足であるらしいが、乗客数最大時で7人、最小時2人。40kmを93分かけて走る。単線ゆえ途中には5分の待ち合わせも15分の待ち合わせもあった。結局、26km/hに満たない自転車並みの平均速度。運転席脇に置かれた配送される薄い新聞の朝刊の束が印象的だった。

もっと驚いたのが、到着地半家の駅であった。四万十川に落ちる急斜面を削って作った線路であるため、駅は「階段しかない」駅。駅舎は田舎のバス停並であった。むろん無人駅だ。
さてと、グーグルアースやカシミールなどインターネット地図でよく観察しておいた半家天満宮を目指す。平面を歩こうとすると、蛇行する四万十川に沿う大回りする国道を行かねばならないが、突き出した半島のような峰を越えれば直線に近かろうと旧道山道を選んだ。

しかし考えるまでもなく、山道は地図以上につづら折りである。カメラの重いことといったら。
まだ朝早い時分だが、ここらあたり日没は何時か、かなり気になった。日が暮れて、この山道を歩いて戻れるだろうか。
駅からバスはないのか。あるにはあるが、日に3本あるかないかのスクールバスだ。「一般の人の利用も可能」と特記されていることがもの悲しい。東京の常識をことごとく覆してくれるのだった。
山の中腹の中半家の集落を超えると道は下り坂になり、降りきる前に半家沈下橋が見えた。道ばたにたまたま生えたような柿の木があり、結構な実がなっていた。季節感として柿ごしに沈下橋を1コマ撮っておかねばなるまい。

さらに行くと幟が立つ林が見え、それが天満宮らしかった。駅からの所要、約40分。

神社には祭礼の用意をするオジサンが2人いたが、時刻が早すぎるようだ、絵になる要素がない。そのうちの1人が自前の軽四のところで「また、昼前に来ますから」と年配者に言うのを聞いて、近寄った。下手をすれば、この日夜2100頃に松山に到着するまで食い物にありつけない恐怖がそうしたのだった。
「ところで、どこか食事できそうなところは、近所にありませんか?」
彼にとっては、異様な質問だったかもしれない。ふた呼吸あって、思いついたようだった。
「十和村に道の駅が出来たから、何かあるかもしれない」
「歩いたら、どのくらいかかります?」
じつは十和(とおわ)は、山の中を縫って走るJRでは次の駅(十川=とおかわ=半家駅から国道を行けば最短で約11km、川沿いに行くと約17km)だ。
「それは〜・・・・、道の駅まで乗せていってあげますよ」
救われた。

真新しい2本のトンネル、1本は昨年3月、1本は昨年12月に完成したものだという。より新しい方は1kmはあるだろうと思えたが、道の駅への距離は走行時間を見定めるに、4kmくらいはありそうだった。往きはよいよい帰りは怖いだが、1時間の道の駅での休息、帰路1時間の徒歩を計算しても、1100には帰ってこられる。必要に迫られればヒッチハイクもできるだろう。始発列車に乗って助かったと思った。

道の駅も真新しい施設だった。今年7月1日に開業したばかり。眼下に四万十川が光っている。食堂もあるが、11時までは「コーヒーだけしかありません。すみませんねぇ」ということなので、明らかに昨日の売れ残りの、近所の民宿のおばさんが作ったという脈絡無く創意工夫の、魚類のかけらもない(その方がありがたい)手巻き寿司風のパック弁当を買い、川を見下ろす庭で食べた。
しかし、道の駅から見る四万十の川面はすこぶる美しい。光もいいし、空気も美味い。気を取り直すにお釣りが来るほど魅力的だ。
帰りは歩いた。トンネルの新しさが異様であった。


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