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「再生日本選手権」 (瀬尾央)

第15回日本選手権をふりかえって(市川展)


DISCUS 2 (Jochen Ewald)

DISCUS 2で闘ってみて (市川展)

特集「国内50Kの証言」(構成・米田洋)
 ・O/L体験(八尾正孝)
 ・関東平野を制覇するには(中西敬夫)
 ・細かいことにはこだわらない(久田雅樹)
 ・私の50Kフライト(佐々木淳)
 ・50K不安を吹き飛ばそう!(澤田重城)
 ・50km達成の記(三輪俊夫)



光透ける羽布 −INTERNATIONAL
  V1NTAGE GLIDER RALLY at Nitra− (瀬尾央)

DRIVEN BY THE WIND (PeterGarrison/ Paul Salmon)

アパラチア丘陵を飛ぶ リッジ・クロスカントリーのノウハウ (池田亨)

安全第一、安全第一、安全第一。
 ・安全第一 (Bruno Gantenbrink)
 ・安全に飛ぶための10の法則 (Soaring Safety Foundation)
 ・長距離曳航は楽ぢゃない。 (堀川勲)
 ・「直面する死」はなかったのか? (後藤加代子)
 ・山と空、生と死の往復書簡 (小谷名保恵・丸伊満)
 ・冒険から還るということ (平井靖)

クラブ紹介、岐阜と浜北、何が新しいか
 ・カスター将軍かく闘えり 天竜川浜北滑空場開場への道 
 遠州グライダークラブ・ヤマハソアリングクラブ (後藤加代子)
 ・新しい風 DG-505と飛騨農道空港が変えるもの 中航連岐阜支部 (小谷名保恵)

おとなたちのタクムオール
 ・外周路から (後藤加代子)
 ・今度こそ50km (平原尚美)
 ・さりげなく空 (後藤凌司)
 ・貧乏性の考察 (久保智成)
 ・ある一日 (望月清光)
 ・4年振りのオーストラリア (本勝誠)
 ・グライダーパイロットの妻の10日間 (竹原文代)

「私のWAVE」 ディスカスbTで小山−蔵王を飛んだ (石山滋)

コンドルが飛んでゆく(林真規子)

<第4回TPフライト・ノンフィクション大賞>
 審査報告 (講評:塚原伸郎・宮田豊昭・瀬尾央)
 佳作「山ほどステキな場所はない」 (飯田正浩)
 佳作「烏たちの青春期」 (吉岡利典)
 世界の潮流を垣間見て (吉岡利典)

リベレで1000K (Kempton Izuno)

再び空を飛ばせたい Slingsby Dart 15 (後藤加代子)

DG-800B (瀬尾央)

JCCの活動/TP05以降の出来事(八尾正孝)

グライダーパイロットは「ヘボ将棋」がお好き?(池田亨)

批判の投稿への意見(八尾正孝)

これからのJCC(大平雅大)

関宿滑空場長佐藤一郎さん、お疲れさま(瀬尾央)

そこのトレーラー、正規のナンバー付いてますか?(河村融人)

ELT搭載義務化について思うこと

読者サロンsquawk 1200
GL2000 撮影雑記
『グライダー図鑑』発行のご支援を
インターネット・オークションの顛末
BOOK GUIDE
SEO - SAN TALK/編集後記

「再生日本選手権」 (瀬尾央) 

前回選手権は運営主体となる団体がなく中止されてしまった日本選手権。それに対し、国内でも目を見張るクロスカントリー飛行を行う若手たちが「競技こそ、総体の技量を引き上げるものだ」と立ち上がった。

e-mailを駆使して意見を交換し、組織を作り、関係機関と交渉し、そして実際にレースに参加した。すなわち、競技する者が自ら運営した手作り選手権。

選手権で得たものは、ちょっとした高揚感、達成感、そして見定めた方針の確かさ・・・・

競技を実行することが最終目標なのだろうか。勝つことや、世界に打って出ることだろうか。選手としてはもちろんだ。
そのためか、選手個人の意見の相違も表れた。

だがそれも、ひとつの陣痛だろう。競技を通じて確かな目が養えれば、それもよい。日本で飛ぶグライダーパイロットの誰もがほしいものは、誰もが見通すことができる全体の底上げだ。この国で、滑空はいかに将来の展望を切り拓けるか。それが描けるか。

関連記事/ 第15回日本選手権をふりかえって(市川展)
優勝した日本代表の市川展選手は今、世界を狙える位置にいる。この選手権では運営する側にもたち、経験を生かしてタスクセッターを担った。

本稿は15回大会の講評であるが、ただ技量が、ただ天候が、という大会に限定した狭い話題にとどまらず、将来への展望をふまえ、次に続く人たちへのアドバイスとして、関東平野においてクロスカントリーを行う際に手がかりとなるデータを詳述している。その着眼点には説得力がある。


DISCUS 2 (Jochen Ewald)
DISCUS 2で闘ってみて (市川展)

ドイツで撮影した大きな空撮写真とともにお伝えする新鋭機ディスカス2。この機体の概要を伝えるファースト・インプレッションはもちろん、早々と本機でレースに参加した市川選手が、その印象から競技における戦闘力についても言及する。

前回オーストラリア選手権の後には、あわや「1,000km」を、この新鋭スタンダード機で2回も飛んだという。


特集「国内50Kの証言」(構成・米田洋)
・O/L体験(八尾正孝)
・関東平野を制覇するには(中西敬夫)
・細かいことにはこだわらない(久田雅樹)
・私の50Kフライト(佐々木淳)
・50K不安を吹き飛ばそう!(澤田重城)
・50km達成の記(三輪俊夫)

TPについての要望を滑空場で聞いたとき、国内での「すごい」フライトばかりでなく、クロスカントリーの第1ステップたる50km距離飛行について、それをいかにして達成したかの実地レポートがほしいという声が多くあげられた。それは国内でもクロスカントリーをやりたいのだが、情報不足ゆえに躊躇している多くの人たちを触発し、クロスカントリーパイロットの層を厚くするのに、絶対必要だという強い意見だった。

そこで今回は、50km飛行の国内での事例に注目し、実際に飛行した人々の生の体験談、失敗談、アドバイスを集めて報告。


DRIVEN BY THE WIND (PeterGarrison/ Paul Salmon)

早朝3時半に起床し、アパラチア山系の低空を1,600kmも飛んだクナウフ。彼が競い合う相手で、戦闘機で超低空飛行するうちに、やはりアパラチアの虜になり、いまや実際に鷲とともに生きるストラーディック。ニュージーランドの北の島から南の島の端までウェーブを使って行って帰ったリンスキー。

その他、滑空の世界で何事かをなし、今なお世界の第一線にある人たちについて紹介しつつ、航空に興味あるふつうの人たちを対象として「滑空の現状況とは何か」を語る。

筆者は米国の著名な航空ジャーナリスト、ピーター・ギャリソン。大きく扱う挿し絵は、米国の切手のイラストレーションも描くポール・サーモン。


本稿はスミソニアン(米国立航空宇宙博物館)の『Air & Space』91年10/11月号の記事。これは編集長がかつて憧れ、こんな雑誌を作りたいと夢見た原型のひとつ。版権を取得し、初出時のスタイルをできるだけ忠実に再現した。


アパラチア丘陵を飛ぶ
リッジ・クロスカントリーのノウハウ
 (池田亨)

では、アパラチアのリッジの実際はどうか。SATAの教官の池田亮さんが、この憧れの地で1,000kmに挑んだ体験記。帰国後すぐに1,000kmが3本も出たというから、この渡米は惜しいタイミングだった。
 
国内で本格的なクロスカントリーを行う場合には、山に入ることがひとつの鍵。斜面上昇風を制覇できれば領域は広がるはずだ。しかし、本格的に長距離を飛ぶリッジ・ソアリングでは、いかに確実な技術と判断が要求されるか、を指摘する。

リッジフライトとは、基本的ルール、斜面上昇風/風向と地形の関係、ローレベルにおける正しい位置どり、いかにギャップを通過するか、リッジサーマルの特徴・・・・などを分かりやすいイラスト入りで解説。


安全第一、安全第一、安全第一。
・安全第一 (Bruno Gantenbrink)
・安全に飛ぶための10の法則 (Soaring Safety Foundation)
・長距離曳航は楽ぢゃない。 (堀川勲)
・「直面する死」はなかったのか? (後藤加代子)
・山と空、生と死の往復書簡 (小谷名保恵・丸伊満)
・冒険から還るということ (平井靖)

TPの常連筆者であり、日本の代表的グライダーパイロットであり、滑空界のオピニオン・リーダーだった丸伊満さんが亡くなった。続いてウェーブの野崎敏彦さんだ。こうした雑誌で人の死を語ることは難しい。しかし、編集部としても焦燥感におそわれつつ、応えざるをえない何かを感じている。

メディアとして何が可能か。そもそも「安全」とは何か。ドイツの代表的パイロット、ガンテンブリンクの語る「安全講話」、米滑空協会安全委員会が定める「安全対策十ヵ条」、丸伊さん自身が「生と死、山と空」について、どのように考えていたかを物語る往復書簡、そして、人が亡くなることの怖さ、辛さを書き綴った北大OBの平井靖さんの「冒険から還るということ」。


クラブ紹介、岐阜と浜北、何が新しいか
・カスター将軍かく闘えり 天竜川浜北滑空場開場への道 
遠州グライダークラブ・ヤマハソアリングクラブ (後藤加代子)
・新しい風 DG-505と飛騨農道空港が変えるもの
中航連岐阜支部 (小谷名保恵)

中部地方の2カ所のサイトを取材した。浜北は20年間にわたる運動の末、複数の団体をまとめて滑走路を作り、一挙に10年の占用許可を取得するに至ったが、その原動力となった喫茶店主、永田修一さんのお話。

岐阜は、新鋭複座機DG-505を導入した。また、滑走路の嵩上げ工事が始まった基地での運航を休止し、本格的な山岳滑翔が可能な飛騨農道空港へ出かけているが、それらの成果について報告する。


おとなたちのタクムオール
 ・外周路から (後藤加代子)
 ・今度こそ50km (平原尚美)
 ・さりげなく空 (後藤凌司)
 ・貧乏性の考察 (久保智成)
 ・ある一日 (望月清光)
 ・4年振りのオーストラリア (本勝誠)
 ・グライダーパイロットの妻の10日間 (竹原文代)

これは編集部関係者の私的なツアーでした。メディアは旗振りにとどまりがちですが、「個別、具体的に」滑空に参加する人を増やさねばなりません。願わくば「いい人だけを世間から」であります。

1週間のみの滝川の経験を経て渡豪し、ここで初ソロを迎えた53歳の会社役員。最近では(社)日本滑空協会基本財産のダートの修復をもくろむに至った、飛ばない異能の主婦。よせばいいのに、O&Rの300kmに出かけ、折り返し点直前で(無線を聞いていてダメだなと思ったが案の定)降りて機体を壊してしまった貧乏性の中学校教諭など。

小誌初登場は、「私は亭主をこんなに愛している」おのろけ話。現地では5時間50kmを目指すご主人を叱咤激励していた若奥様は、今、滑空場での赤ちゃんの預け方を心配しつつ、練習許可証を取得しました。
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