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970930 JA09AW Dep. TAKIKAWA 06:51 - 09:29 Arr. TAKIKAWA 2h10m
そもそも大雪十勝山系の、わが国で最も早い紅葉を見るつもりで、日の出に機体を準備したのだ。しかし、離陸する滑走路は10m先が見えない濃い川霧だった。気温の上昇とともに消えるはずだが、2時間も待って根負けし、少しは薄くなった中を無理矢理離陸した。

霧を突き抜けると、すぐに快晴の空になったが、そこでエンジンは乱調気味。キャブレターが湿気を吸って凍ったらしい。止まるかもしれない。だが下界はろくに見えず、今更降りられる場所はない。違法行為の天罰を後悔しつつ、限界的なパワーをだまして上昇していく。

心の動揺は目的をないがしろにする。エンジンの調子は回復したが、もう紅葉はどうでもよくなった。いつもながら目立つ山に目が寄せられた。ここにだけ、細いながらも確実な存在感のある噴煙。山系の南西端にある十勝岳だ。そちらに機首を向けた。

十勝岳


十勝岳
1857年(安政4年)、幕末・明治初期の蝦夷専門家・松浦武史郎は、十勝岳を「山半腹にして火口燃立て黒烟天を刺上るを見る」と書いた。以来、1887年、1926年、1962年に噴火し、近年では85年、88〜89年にも熱泥水、水蒸気爆発や火砕流の発生をみている。

26年5月の噴火は悲劇的で、赤熱の火山弾が噴出し、中央火口丘が崩壊すると、崩壊物は岩層なだれとなって高速で流下し、1分に満たないうちに硫黄鉱山の25人の命を奪った。さらに、残雪を溶かし泥流を生み、大量の木材を含む泥水が美瑛や上富良野を襲い、橋や鉄道が壊され、犠牲者は全部で144人にものぼった。〔空からみる日本の火山〕

62年の噴火でも5人の犠牲者が出た。噴火がおさまると、グランド火口の南西壁沿いに火口列が生まれていた。小火口が密集する火山は草津白根や御岳にもあるが、十勝岳では全部名前がついている。そして印象が若い。危うい若さだ。噴火被害は困るが、景観としてはそれがいい。
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