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 (8)夏の広島

020816 JA09AW Dep. RJOK 08:47-12:02 Arr. RJBH 3h15m
JA09AW Dep. RJBH 13:51-15:36 Arr. RJOY 1h45m
020817 JA09AW Dep. RJOY 09:43-10:36 Arr. RJBK 0h53m
現在地は高知。朝、運用開始時刻に空港に行き、08:47には離陸して、四万十川流域の空撮。さらに吉野川源流域に戻り、高知県大豊、大歩危小歩危、二宮忠八が「飛行器」を発案する元となった樅の木峠など撮って、広島西へ。

当初のフライトプランでは、目的地は広島空港だった。だが、新幹線で小倉に帰る同乗者の利便を考えると、どうみても広島西がいい。

広島西も7時半から運用を開始しているが、その時刻にいるのは管理を委託されている小型機安全運行センターの人達だけで、管理者である県の職員は、県庁と同じ時刻にしか出勤ない。そして、この空港はスパン制限を設けていて、17.4mもあると、着陸の許諾は県の職員の判断がないと、決定できないとのことだった。

で、飛行中に福岡INFOを呼び、電話番号を伝え、停留スポットの確保が可能か、県の担当者に電話してもらったのだ。OKの答えがあって、目的地を広島から広島西に変更したのだった。

降りてみれば、この飛行場は、何が理由でスパン制限を設定しているのか、理解に苦しむ。小役人が権限をもてあそぶためだけの、不思議な制限に思える。

大利根−八尾−熊本−長崎−鹿児島−大分県央−北九州−高知と巡った、この夏西日本空撮の2ラウンド目の最後は、どうしても夏という季節に撮りたかった原爆ドームや平和記念公園を中心とする広島市街の撮影で終わった。

着陸後、広島西でお好み焼きの昼食をとり、帰京することを考えた。台風13号が来ている。それによる降雨は、18日日曜日には確実だった。早く帰りたい。

停留の時刻期限は13:30だった。西風は弱く、イーストバウンドのGSは100ktは出そうもなかった。関東の日没は18:30。飛行の所要時間は5時間をみておく必要があった。

日没に間に合うかどうか。冬ならば、5時間あれば帰っただろう。予想する所要時間は4時間ほどで、1時間近くお釣りが来る勘定だ。だが、この季節では瀬戸際だ。安全策をとり、八尾で1泊することにした。


吉野川・大豊


広島


四万十川


神戸
それが幸運だった。16日の関東平野は、雷鳴とどろき、雲底600ftそこそこで、特に千葉から大利根の、飛行時間にして15分かそこらは、とても飛べない様相であることが後で分かった。5時間も飛べば、残燃料を考えてもオルタネートの飛行場もなく、激しい夕立の中を大利根につっこむしかなかった。

17日朝、5時起床。TVとPCで天候の調査。昨晩まで、この日の関東地方は曇りだが晴れ間もあるという予報が支配していた。だが、当日になってみると、全編曇りベース。降雨確率がやや低いのが救いだった。

TVの気象情報は、関西ローカルのものばかりで、なかなか全国区のものは始まらなかった。6時を回ったところだったか、NHKがそれを放送した。事もあろうに、千葉・茨城は9時には雨となっている。だいたい、NHKはいつもペシミスティックであるが、せめて午前中はもつと思っていただけに、ショックだった。7時半、鍵が開いた八尾空港事務所に飛び込む。気象台でただちにMETARをとる。百里も成田もBKN400とか600とか。

どないすりゃ、いいんじゃい。八尾は、動力滑空機の夜間停留は1泊のみ、となっている。

METARは飛べるようなデータをくれてはいない。インターネットによる情報では、もう少し楽観的だが。昇温すれば雲底も上がって、ベースはせめて1,200ft程度になるような気もしないではなかった。

8時、中澤さんに「どう?」と電話。ベースは「1,000ft程度かな?」。台風の渦巻きの雲の前縁は、降雨を伴うものかは分からないが、エコーは既に房総半島先端にかかりそうだった。時が経過するに従い、その前縁は北上することは間違いない。3時間、もつか。

20分ほど、いろいろ考えたけど、悩んだときは安全サイド。サポート態勢が脆弱なアマチュアには、それしかない。東に飛ぶことを止めることにした。

「情報官、八尾停留を延長させてもらえませんか。台風が去った火曜日には、機体を引き取りにうかがいます」

事務室には若い管制情報官が一人。「天候が理由の場合は、延泊可能となっていますが・・・・」といいつつも、10時に出勤するという先任の登場まで、判断しかねるようだった。で、先任だか上司だかにメールして、判断を仰いだようだった。「停留を認めましょう」との返事だった。

ぼくはエプロンに出て、機体の係留を一層強固なものにし直した。JA09AWは他機と異なり、さらに2カ所係留索をとれるようにしてある。30分程度、汗だくになって作業し、情報官事務所に戻ると「どこかの会社の格納庫に入れてもらえるなら、延泊を認める、との上司の判断です。第一航空さんあたりに交渉されてはいかがでしょう」

格納庫に入れなければならないのか。機体の翼を取り外さねばならない。だが、クルーはいない。また、高級ホテル並の格納料も覚悟せねばならない。汗だくの作業が無に帰し、げんなりした。なぜ作業前に明確に条件を提示してくれなかったのか。

大きく落胆したには、もうひとつ理由があった。火曜日に引き取りに来るにしても、その日に予定していた仕事は、早く帰って今日明日に片付けなければならない。新幹線で帰り、14:00前に仕事場に着ければ、この数日間に撮影したフィルムの現像も、今日中に終わる。結果を見れば、安心できる。写真は結果がすべてで、30年以上この商売をしても、それはちっとも変わらない。今、直ちに新大阪に向かえばそれが可能だが、これから小1時間作業するのでは、ちょっと絶望的だ。現像の上がりは月曜日になってしまう。

官も、台風が東へ変針しないで直進する場合を恐れ、その場合に機体が転倒するなりした場合の責任のとりようを考えているにちがいない。格納庫に入れることが条件になるのは、そのためだろう。しかし、係留の責任は、ぼく自身にある。台風は関西には来ない(予報官もそういう)という判断だ。たとえ25kt吹いても、大丈夫と思われる用意をした。さらに第三者賠償にも、ちゃんと入っている。結論を言えば、これが運航者としての判断の上限だった。で、八尾にオサラバすることにした。

行けるところは、西方しかない。そして甲南飛行場に50分かけて飛んで移動(広島西からの半分の距離を戻ったのだ)し、新幹線で帰ってきた。新幹線乗車前に大利根に電話すると、「できても、タッチ&ゴーだけだな」とのことだった。

「のぞみ」は15:00すぎに新横浜を過ぎた。もういいかげん雨か低い雲か、と思ったら、雲は上層にしかない。羽田をエアボーンした旅客機が、かなりの高度まで視認できている。

クソッ、何が理由で、こんなに好転しているのか。飛んで帰れたではないか。気象の現況を見て、とっても疲れた。関西と関東の間に、その先の様子見が可能な、設備の整った、まともな飛行場がほしいものだ。

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