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 (6)鹿児島−大分県央@

020815 JA09AW Dep. RJFK 09:06-11:18 Arr. OhitaKenou 3h00m
大分県央を訪れたのは、8月15日。じつは2度目で、初回は開港して4日目、関東からの1番機だった。

15日は、朝の離陸地は鹿児島。撮るのは、まず国分の上野原遺跡から。ここは、今から約9,500年前の縄文時代の、国内最大規模の定住化集落遺跡。97年発見。

これまで、縄文文化の中心地は、東北、中部などの東日本であるとの見方がほぼ定説だったが、上野原遺跡の発見によって縄文文化の起源が再検討されるようだ。間もなく大々的に一般公開される。

地図を見れば、その場所は海岸付近だが、あんなに高い切り立った高台だとは思わなかった。管制圏外だから大丈夫かと思ったら、その高さゆえ、結構近くにRJFKにアプローチする機影が見える。ちょっとビビッタのか、早々に切り上げた(だから住居のレプリカなど十分に撮れてない)。

次は、高千穂峰。山頂まで必死の思いでクライム。まだ燃料減らず、機体重量重く、外気温・湿度高く、斜面風なく、少しはありそうな北東側は雲ビッタリで入り込めず、ちっとも上がらず苦労した。

「高千穂」は天孫降臨の地とされている。国家を背負った幻想の風景?なんだろうな。でも、現実の眼下の火山は、新鮮かつ、とてもダイナミックだ。

「此地(ここ)は韓国(からくに)に向かい、笠沙(かさ)の御前(みさき)に真来(まき)通りて、朝日の直刺(たださ)す国、夕日の日照る国なり。故(かれ)、此地ぞ甚吉(いとよき)地(ところ)」(『古事記』)


高千穂峰


五木の谷道

白水ダム
国家日本の始まりを、『古事記』『日本書紀』を典拠として「国史」にし、それを紀元2600年(昭和15年)に向けて正当化した時代があった。戦後の東京オリンピックのときにすら、聖火リレーの出発地を宮崎にしたいとう強いこだわりもあった。

しかし、幻想を現実化すれば、裏切られて残るものは幻滅しかないのだから、神話は神話として後世に伝えればいいと、ぼくは思う。

ちなみに、江上・騎馬民族侵攻説などはここ南九州説をとらず、チホは高い山の頂が連なるところをいい、外来民族が半島から来たという北九州説(筑紫にも日向「峠」や、クシフル山があるんだね)。また、同じ宮崎県内にも県北に「宮」の高千穂があって、こちらにも大きな神社がある。

ついで、結構雲が多かったため、7,500ftを維持したまま九州の脊梁部を北上。雲の隙間から平家落人伝説の五木村や、現存する唯一の焼畑農業(ソバ)椎葉の日添(「焼畑」という民宿がある。話が聞きたくて、おばあちゃんと少し電話で喋った。できうれば山を焼く日に行きたかったから)を撮り、祖母山へ。

祖母山上空7.500ftから無理矢理ダイブして、竹田市郊外の農業用水ダムの白水ダム(ダムの面を見事な白水となって水が流れる=近代化遺産?)を撮り、「荒城の月」の岡城址。そして県央に向かったのだが、世間は狭い。ちょうど関宿のJA2353が来ていて、県央を離陸して天草に向かうところであることが、130.8MHz県央FSで分かった。

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