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000611 JA09AW Dep. RJCH 11:40−16:12 Arr. RJCM 4h41m
この前、ちょっと友人に進呈する写真を撮ろうとして、下総TWRを呼び出した。この海上自衛隊基地は、トラフィックがないかぎり上空通過を許してくれることが多い。せいぜいそんなつもりだったのだ。

「Shimofusa Tower, JA09AW, 10nm South-West of you 2,000ft, えー、日本語で申し上げます。ちょっと写真撮影のため、柏駅前上空で高度1,500ftにおいて、2,3度旋回させていただきたいのですが、管制圏の立ち入りはよろしいでしょうか」

「JA09AW、Shimofusa,許可番号は何番ですか。どちらの会社の申請でしょうか」

「あのう、趣味の写真撮影なんですが・・・・」
「お待ち下さい」

担当管制官は幹部自衛官ではなかったのかもしれない。おそらく管制隊長(海自でもこういうのかな)の指示を仰いだのだ。

管制圏にトラフィックはない。呼び出してきた機体は、業務の航測写真や斜め写真とも違うようだ。管制圏内における写真撮影の事前調整はなされていない。こうしたことは、なかなか例がないことなのだろう。現場では判断しかねたようだ。

「これから司令部と調整しますので、しばらくお待ち下さい」

何やら大事になってきたようだ。で、なす術なく7nm付近でぐるぐるぐるぐるとホールディングの旋回をした。かなり時間がかかった。

「司令部と調整した結果、今回は・・・」
特別に許可されるのか、と思ったら、やっぱりダメだった。

五稜郭


志苔館址


四稜郭
「・・・・管制圏内における撮影に関して、事前の申請書の提出がないため、立ち入りは許可されません。以後、希望される場合は、飛行目的、日時、航空機の無線呼出符号および型式、搭載無線機の種類、出発飛行場および目的飛行場、飛行経路、所要時間、飛行高度および速度、操縦者氏名等(だったように聞いたが・・・)を明記して、海上自衛隊下総航空教育群司令部運用幕僚宛(だったように聞いたが・・・)、申請して下さい」

ありゃりゃ、これは申し訳ない。
「Shimofusa Tower, JA09AWです。こんな大変なこととは存じませんで、まことに失礼しました」

そう言って、すごすご大利根に引き返したのだ。降りると、隣に乗っていた直美教官がいう。「凄いね、瀬尾さんの猫なで声を聞いちゃったわ。『こんな大変なこととは存じませんで・・・』なんちゃって」と冷やかしてくれた。

しゃぁねぇじゃん。航空法95条には、管制圏では、ただ離陸するか、ただ着陸するだけよ、という趣旨のことが、こう書いてある。

<第95条>
航空機は、航空交通管制圏においては、左に掲げる飛行以外の飛行を行ってはならない。ただし運輸大臣の許可を受けた場合は、この限りではない。
1、当該航空交通管制圏に係わる飛行場からの離陸及びこれに引き続く飛行(当該航空交通管制圏外に出た後再び当該航空交通管制圏において行う飛行を除く。)、当該航空管制圏に係わる飛行場への着陸及びその着陸のための飛行

こうあるがゆえに、運輸大臣が許可する前提として、書類の申請が必要なのだろう。単なる上空通過と同様に、現場管制官が無線で許可すれば、それが運輸大臣の許可になってくれればいいのにと思うが、それは娑婆の論理なのだろう。撮影は「特別のことだから」運輸大臣になりかわる担当官たちは、許可をしたという証拠がきっとほしいのだ。そこには残念ながら趣味も業務もないようだ。

函館管制圏内で城郭城趾の撮影をしたかった。ここには、あの日本初の西洋式城郭である五稜郭がある。そればかりか、四稜郭もあれば、志苔(志濃里=しのり)館もある。これらを撮りたかった。

五稜郭は幕府が作った。外形が星形なので五稜郭なのだが、これはその先端の稜堡におく砲座が、死角のない守備をするための工夫である。明治元年(1868)、旧幕府軍の榎本武揚率いる3,000人は、北海道共和国の創設を夢見てここに籠もり、翌年4月には新政府軍と約1ヶ月の箱館戦争を戦った。

四稜郭は、榎本軍の陸軍奉行大鳥圭介が1869年に五稜郭の5km北東の台地に急造したものだ。やはり西洋式の堡塁で四隅に砲座をもつが、新政府軍との戦いで未完成のうちに数時間で陥落した。

志苔館は、15世紀以降北海道に進出した和人が、アイヌに対する拠点として構築した砦のひとつである。アイヌのコシャマインの攻撃によって1457年に陥落した。そもそも東北以北には、大館、角館、この函館山の箱館など「館」(たて・たち)のつく地名が多い。いずれも中世の館(砦)である。道南にはいずれも舌状台地に設定された12館があるが、この志苔館は、現在の函館空港の管制圏はおろか滑走路の脇にある。ちなみに、アイヌの側における「館」はチャシといい、砦、柵、柵囲といった意味で、軍事的な機能ばかりか、祭場、あるいは談判の場であったと想定されている。これは沙流川流域や根室半島などに多くの遺構が残っている。

函館空港は、結構トラフィックが多い。下総における例に倣って、きちんと書面で申請書を出した。アマチュア・パイロットにとって、なかなか縁遠い書類作製であるが、きちっとしたものを作って、官側の土俵に乗り、分からなかったり拙かったりするところは指摘してもらって調整すれば、じつに丁寧に対応していただける。

函館を離陸して800ftをゲインすると直ちに志苔館の空撮を始めた。視野の片隅に誘導路を進みゆくB767が見えた。滑走路に入るところで、立ち止まっている。定期航空の定時性の確保は空港関係者の使命だから、こちらも粘らず、ある程度撮影成果に納得できたので、ダウンウィンドへ離脱し、五稜郭へ向かった。

次の五稜郭は、RWY12のアプローチコースの脇にある。上空で2度3度旋回したら、もう次の着陸機がやってきた。アプローチコースから間合いをとることにする。ホールドするのは四稜郭上空として、こちらをついでに撮ってしまう。
 ではまた五稜郭に戻ろうとすると、次の到着機がやってきた。それが済むと、小型機が飛来した。そしたら今度はYSがやってくる。ほんとうに忙しい。忙しいと、今度は高度を変えて、などという贅沢はできない。

また、こうした状況での空撮となると、管制用慣用句などでは語れない交信が多い。確実なインテンションを伝える必要があるため、ぼくは申し訳なくも日本語で喋った。英語のみのエアラインのクルーには耳障りだったかもしれない。

でも、おかげさまで結構撮れた。降りてお礼することもなく、そのまま女満別まで飛んで行った。この場でお礼申し上げたいと思う。
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