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030214 Dep Ohtone 10:40-13:05 Arr. RJAF 2h25m
Dep RJAF  14:37-16:16 Arr. Ohtone 1h39m
新しくできた長野滑空場の滑走路を見に行った。ここ数日で、行けそうな天気は今日しかない。

機体も、エンジンのOHでしばらくドックに入ることになる。ならば、最後の華をもたせるよなフライトをしたいとも思った。で、ついでに北アルプスはどうだろう。

10:40大利根離陸。西に向かって上がったが、飛行場の風は右からのクロスで、クライム中は東風成分もあるようだった。春が始まっているのか。地上は暖かかったし、エンジンも無理なくかかった。上昇中、関東平野が広がっていくが、視程はカリっとした正月のようなことはない。でも、それは低層だけ。6,000ftあたりではGSは60kt台になって、北西風強い頑強な冬が残っている。

同乗したユカちゃんに、関東平野の縁の山々を説明しながらいく。武甲山、両神山、荒船山、妙義山、榛名山、赤城山・・・・。特徴ある山を覚えると、ナビはとても楽になる。最も目立つのは、なんといっても浅間山だ。これはルートの正面にあるし、冠雪も深く白く、そして高い。浅間は第1外輪山、第2外輪山をもつ三重の成層火山である。

雲底7,000ft程の雲が行く手の北サイドを覆っている。高崎の南にいた。長野に向かうには、軽井沢から上田にまわって、そこから北上するのが常識的だ。しかし、北側の雲に惹かれて、その下で高度を稼ごうとする。でも、この季節のこうした雲など、さして頼りにはならないのだ。もまれることはあっても、高度は上がらない。

コースは、浅間の北側にある四阿山(あずまやさん)やさらに北に位置する草津白根に向かう感じになったが、それはとりもなおさず長野へのダイレクト・コースでもあるが、そちらは山々に深く被る雲がある。行けるわけはない。


関東のことをアズマと古来から言う。吾妻山という名も各地にある。
アズマは、倭建命(やまとたける=古事記、日本書紀では日本武尊)の東征物語による、とされている。天皇の命により、まつろわぬ蝦夷を征討しての帰路、信濃の入り口(足柄峠という説もある)で、弟橘比売(おとたちばなひめ)をしのんで「あずまはや」と叫んだからだ。「あずま」は「わが妻よ」であり、浅間の麓に嬬恋村(つまこいむら)があるのも、これによる。追慕とは、倭建命が三浦半島の走水から上総に船で渡ろうとした際、暴風雨がにわかに襲い、后・弟橘比売は海神を鎮めるために身を投げたからであった。


一方でアズマは、あずまや、すなわち屋根をふいただけで壁のない小屋を意味し、山の形がそれに似ているから名付けられたという説も強い。四阿山なんて簡単には読めないが、屋根の棟に似ていると言われれば、それもそうかもな、と思う。

長野滑空場


浅間山


浅間山


浅間山


浅間山フライトGPSトレース

コースは北にシフトした。浅間には陽も当たってますます存在感があるから、溶岩流・鬼押し出しなどがある、その北斜面を見ることにした。1コマでも使える写真を撮りたい。所々雲の木漏れ日がある。その隙間をいく。

山頂部から東へたなびく雲もある。それほどに白いが、これは噴煙そのものだった。今、浅間は13年振りの噴火で登山禁止だ。12,000ftくらいまで上がりたいが、上がる手だてが見つからない場合は、その山の斜面を使うのが手っ取り早い。浅間の北西面に出れば上がるかな、と思ったが、弱い。山頂(2,568m)とさほどの高度差のない8,000〜9,000ftで妥協して、撮影態勢をとる。

冠雪した山肌の白、間断なく押し寄せる雲の白、たなびく噴煙の白、刻々変化する太陽の位置、それに応じて反射し、色合いを変える白。そこに様々な階調があって、とても写真的だが、撮影位置に機体を向けるのが大変。風強く荒れ、雲を避けねばならず、山頂部はとても近い。
リスクを犯して攻めたが、不完全燃焼の空撮だ。ファインダーの記憶より、風防越しの光景の方が力がある。粘りたいが、深みにはまると怖い。

で、長野に向かうことにした。
西行するが、北よりを行けば四阿山。だがその裾野すら視認できない。南の盆地サイドはかろうじて見えているが、進めば進むほど視程は悪化する。結構高度高くいるのに。

長野市街上空、高度高く撮って、降下しつつ新滑走路を撮ろうと計画していたが、高度を維持することも困難で、不用意に降りれば山近く、クソッと舌打ちした。GPSのマッピングも、こうしたところでは役に立たない。南にシフトしたいが・・・・。こうやって深みにはまると、その時に山腹にぶつかるんだろうな、と漠然と考えた。

4,000ftまでは落として大丈夫という確信が持てて、降り始めたら、そこで長野市街が全くうすぼんやり見えた。松代上空だった。思い切って降下。だが視程はさらに悪化し、思いがけずも暗い。なんたることか。
滑空場の新しく舗装された滑走路が視認でき、さらに降下したら、周囲をピュンピュン雪が飛ぶ。乾いた雪だが、結構本格的。視程の悪さは雪だったのか、と改めて思うところが、浅はかだ。
もう1,000ftAGLを切るくらいに落としていた。今度は、低すぎて、この雪のエリアから脱出できるか、考えなければならないことになった。

主翼前縁に雪が付着するようだと、まだ使用禁止が解けていない新滑走路に、問答無用で降りねばならない。雨滴ですら、プロペラ・ピッチがクライムとクルーズの違いほどに影響する。まして雪だ。こうしたところが、なるい性格のG109Bといえども、バグの影響をシビアに考えるグライダーそものもだ。エンジンは、こうなると全く非力。
幸いにして、外気温低く、付着している感じはなかったが、2周して3コマ撮って、退散することにした。

雪を予感して雪に遭遇したのではなかった。遭遇して初めて気がついたのだ。心の余裕がなかった。まだまだ修行が足りない、困ったものだ、と自分を叱りとばしつつ松本に向かったが、再度降雪に遭遇した。
北国の空は、積もった雪と、降る雪と、ただよう雲の区別がつきにくい。帰路は、かなりメリハリの効いた光になっていた。ふたたび浅間を攻めて、来て良かったと思える感触を得て帰ってきた。

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