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航空自衛隊秋田救難隊の撮影に出かけた。
航空自衛隊の航空救難を担う部隊が、民間空港の秋田空港と新潟空港にあるのだが、いずれも捜索機と救難機、4機〜5機と人員約150人ほどのこじんまりした陣容だ。
日本海側にある航空機を持つ空自基地は、本州では小松、美保しかなく、救難部隊となると、本州中央の小松にあるのみ。山陰の日本海側は、芦屋の救難隊がカバーするとして、東北地方の日本海側となると、千歳や松島からでは遠く、どうしても分屯基地が必要になり、秋田空港と新潟空港の一隅に救難隊が置かれているのだ。

部隊の特徴を出すために、救難隊のエプロンに、所属機と業務に支障のない隊員の皆さんに集まってもらい、上空から空撮することにした。
ふつうなら、部隊の救難ヘリに乗せてもらって撮るところだが、機数の少ない部隊だから、撮影機として1機使ってしまうと被写体機の数が減ってしまう。撮影機は自前で用意した方が無難だろうと思えたので、大利根からG109Bで飛んでいくことにした。

さて、幅100mかそこらの専用エプロンで機体と人の集合写真を撮るとして、どれほどの高度からなら写るのだろう。300ftAGL? たぶんもう少し低く、200ftくらいがいいように思えた。いずれにせよ、これはかなりの低高度だ。
そんな低高度で、エアラインのトラフィックがある空港で、何度も旋回して空撮が出来るのだろうか? どうやったら許可が得られるのだろう。

例によって、「許可(調整)申請」の文書を作り、添削をしてもらうつもりで秋田の運航情報官にFAXし、再び電話して相談してみた。


千咲原


高擶城館集落


磐梯山北面
「原則的に了解しましたが、これとは別に低空申請も必要ですね。低空申請はここでは仙台の扱いですから、仙台空港事務所長宛に出して下さいね」
航空機が最低安全高度以下の高度で飛行することについて、航空法第81条ただし書きの規定による許可を受けたい、として申請する『最低安全高度以下の高度での飛行許可申請書』だ。飛行場内といえども、離着陸以外の、低高度の飛行をするわけだから、許可申請が必要だというのだ。あちゃ〜、そこに必要な要件とは何だろう。

飛行計画の概要、飛行経路を記入し添付する地図、その飛行をしなければならない理由、(責任をとるべき)操縦士、その資格、同乗者・・・・。
万が一エンジンが止まったとき、どこに機体を降ろすのか(まぁ、モーターグライダーだし、空港内で旋回するんだし・・・・・)。
この辺は常識として、う〜む、まだ何かありそうだ。VFRに限る(VFRでしか飛べない機体だし、空撮だもんなぁ)、案外・・・・・騒音苦情の対処要領(書くとして、善処する、とすればいいのかしら?)などもいるのかしら?

こういった書類というのは、プロっぽく作らねば意味がない。管理者であるCABの土俵に乗りますよ、という意志表示がそこに込められていなければならないからだ。それを読み取ってもらえれば、関係者にとりあえず安心してもらえるだろうし、そうなれば後が楽だ。だが、決済に時間がかかるだろうから、急がねばならなかった。

先週はじめに見た週間天気予報では、6日、7日なら大利根から秋田に飛べそうだった。なんたって梅雨の時期だ。秋田まで飛ぶことが大変なことだ。

どんなフライトだって常に未知を相手にする冒険だ。VFRで飛ぶ事なんて、不確定要素との遭遇の連続なのだから。この列島では、3時間先が晴れている保証はどこにもない。
だから、安心しきって飛んだ、なんてことは一度だってない。内心は、いつもドキドキしているのだ。怖いか? 確かに。でも、ドキドキしている自分を見ているのが面白い、という自覚もある。
で、秋田に飛べるか?

当初は、日帰りの予定だった。エンルートは3時間か3時間半か。07:00に離陸して、10:30着陸。小休止、関係機関挨拶回り、打ち合わせ、昼食、本番の集合写真空撮、で、14:00には帰途に就く。

だが次第に、このハードスケジュールで自分の神経が持つかな、と心配になった。07:00の離陸では、十分な気象データが集まらない。一般的な晴れの予報だけを頼りに、湿度70〜80%などという湿った空を、あるいは峠を、ずっと手探りで飛ぶことになる。経路上の空港に沈没してしまう可能性も否定できないし、神経をすり減らしてしまうと、例えば本番の空撮で、取り返しのつかない大ポカをするかもしてない。それが怖い。1日前に出かけるか?

月曜日の夕刻、同行者に連絡。「やっぱ、明日行こうや」
「え〜、また急な、午前中は動けないよ」
「ならば15:00に離陸のセンで計画しよう」
昼飯までは仕事場、飛行場に走って1.5時間、離陸準備に0.5時間、ということだ。

行くと決めたら、今度はただ真っ直ぐ飛んでいくのが非常にもったいなく思えてきて、秋田へのルートでちょっと寄り道すれば、「航空民俗学」に取り込めそうな町並みや、地学的に目を引きそうな撮影ポイントがあるはずだから、とを洗い出すことにした。

この季節、夕刻になると、太陽はかなり北に回る。とすると、例えば磐梯山。あの爆裂火口は、北向きなのだ。少しでも陽が当たる可能性があれば、立ち寄ってみたい。
あるいは、会津盆地・喜多方西部の阿賀川・只見川合流地点の環流丘陵、河岸段丘、活断層などが見られるという千咲原。
歴史的地点としては、最上川舟運で栄えた長井。山中を行く古街道に連なる宿場町の七ヶ宿。中世の城館集落の名残をもつ高擶(たかだま=天童市)。平地に二重に水堀・土塁をまわした方形輪郭式の陣屋町、長瀞城(現在も二の丸の水堀が地図でも確認できる=東根市)。
興味ある撮影ポイントはゾロゾロ出てきた。全部GPSのウェイポイントにしてマークした。忙しい出発当日というのに、資料をあちこち繰りつつ午前中一杯、作業することになった。

明治10年、それは維新の最後の動乱だった西郷隆盛の西南戦争の翌年で、下から読んで「年中治まるめぇ」と言われた年だが、およそ外国人が自由に旅行できなかった時代に、英国婦人イザベラ・バードが東京から東北、北海道を旅し、『日本奥地紀行』(平凡社東洋文庫に訳本あり、原書は1880年刊)を書いている。
粕壁(春日部)、日光、会津盆地、新潟を通って小国、置賜(おきたま)盆地(米沢盆地)、山形、新庄、久保田(秋田)・・・・・。
調べものをしつつ、ルートが近似した『日本奥地紀行』なぞ読みふけってしまうと、飛行場に行く時間が差し迫って、昼飯もろくにとれない具合になった。

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