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000213 JA09AW Dep. SEKIYADO 10:03−12:02 Arr. RJSF 1h59m
JA09AW Dep. RJSF 13:30−14:33 Arr. SEKIYADO 1h03m
冬の空が怖くなくなるほどの経験を積みたいと、常々考えている。これが難しい。

ある年の3月、丘珠で機体を借りて東北海道まで飛ぼうとしたことがあった。飛行場は晴れであり、晴れの予報でもある。たしかに平地は晴れている。しかし山岳部は低山であっても雪雲に覆われている。

離陸後、さほど進出してはいないのに、ときおり流れ来る降雪にも遭遇した。高層は、胸のすくような青空なのだ。そこまで上がろうと試みたが、オントップするには9,000ftかそれ以上の高度が必要だった。降り積もった地上の雪と、雲と、実際の降雪の区別がつかず、恐れをなして引き返し、その時は結局計画を中止した。

そもそも冬の北海道を車で走っていても、雪が降り出したとき、それが積もるまでの早さといったら、東京周辺の生活環境に慣れた者には予測できないほどのものがある。空で、こうした様子に遭遇したら、やはり負けてしまいそうだ。

日本の気象は大きな台風などを除き、温帯気候で一般的にはモデレートだと考えられがちである。しかし10,000ftを超えれば、そこは大陸と一緒なのだ。山岳などに飛んでいくと、それを実感させられる。気象に遠慮がないのだ。何があっても不思議ではない。そして機体の性能は、ここから限界域といった様相となる。

快晴の関宿を離陸すると、冷たく濃い空気のおかげで上昇は良かった。75〜80ktで5nm北上してほぼ4,000ft。茨城県境から古河のあたりには、ウェーブのかけらなのか、振り切りの上昇気流もある。ピュアグライダーの人たちも、この辺りまで曳航されれば美味しいはずだ。


でも、最近は曳航機の準備が遅いし、みな標準的な曳航高度を守ろうとしがちだ。こういとき、動力滑空機による曳航がものをいうことになると思う。

会津高田


下妻


南つくば
通常の曳航機180HP+に対する動力滑空機の100HPの差にはそれなりのものがあり、カタログ的に「曳航できる」を信じて運用すると、貧乏性の蔓延した日本の滑空界では怖いことも発生しそうである。たしかに可能ではあるが、重い複座機を高圧線に囲まれた路面条件の悪いところで曳っぱるには、明らかに適さないからである。

が「分」をわきまえ、上級者が遠く広く気流をサーチする時などは、コスト安く、効果的な道具になるはずだ。上級者専用とすれば、ある程度の時間を占有することもできるだろう。

宇都宮までは85ktの計器速度で、階段を上がるように上昇していった。高度8,000ft。その先、高原山、そして那須岳方面には雲がある。前日は那須のウェーブは明確で、気軽に14,000ftに上がることが出来たそうだ。

この日はやや複雑。流速が少し不足しているのかもしれない。あちこちロータークラウドの頂部に薄いレンズ雲がかかって、気流にシアがあることが分かる。サーマルウェーブの前兆のような感じ。でも、それが体感できるかというと、味が薄い。雲の前部へ、前部へとせめて行くが、感動的には上昇しない。

教科書のようにウェーブが存在したある日、何年か前だが、このエリアで離陸滑走から着陸まで、24,000ft+に上がって降りて1時間20数分だったことがある。この日は、せいぜい11,000ftだった。先を急いだせいもある。

フライトの目的は、藁葺き屋根の集落・大内宿、会津盆地の集落の形、行けそうであれば飯豊山、さらに気力に余裕があれば、仙台の北の多賀城跡や、霞の目の隣にある仙台市富沢や山田の条里区(残っているのかな)、といったものの空撮である。どこでどの程度雪が残っているか分からないが、積もった雪があれば、それはそれで集落などの輪郭を明らかに見せるはずである。

那須以北は、雲が多かった。この高い高度を維持すれば、この季節、諦めばかりとなる新潟へも飛んでいけそうだった。だが、降りなければ写真は撮れない。どこで降下するか。

通常、猪苗代湖あたりで雲に大きな穴が開いているはずである。予定撮影地で最も南にあるのは大内宿だが、北へ迂回して雲の隙間を狙って高度を急速に下げていく。11,000ftから4,000ftを切る程度に下がると、地形の影響を受けるためか、乱流が強かった。威風堂々とした山岳ではなくとも、500ft+といった程度の高度差しかないところでもまれると、うんざりする。大内宿へは峯をいくつか横切って接近しなければならなかった。

そのうち揺れも激しくなって、怖さも蓄積されていき、あとひとつ山を越えれば行き着く、といったところで高度低く、目の前に山(六石山?1,019m)が立ちはだかって再度の上昇が必要となった。そこで萎えてしまった。仕方なく、暴れる機体をなだめつつ、撮影を諦めて谷筋を会津盆地に抜けることにした。

盆地の集落は、やはり大きな雲の穴があって、光っていた。しかし暖冬なのか、積雪が中途半端で絵として美しくない。そのことに、がっかりする。

旋回中、北側の喜多方方面に目をやると、雲の一部が地表に流れ落ちているところがある。陰になって黒いベールだ。それは測りようのない厚みを感じさせた。確実に雪が降っているのである。そして、強い風に押されてこちらに流されてくる。

南側は、というと、盆地ゆえに山がちで、雲は増しはすれども、動いて遠ざかるわけはない。今居る空間、円筒形の筒のような晴れた空間が押しつぶされて狭まってくるのだ。逃げなくてはならない。低空を猪苗代へ行けば抜けられるか。先ほどあったはずの空間は、同じように押しつぶされているかもしれない。先が見通せない視程とあっては、リスクが高い。 上へ上がるか。だが、上に上がることが、一番手間がかかるのである。低馬力機では、こうした時の時間対効果は全く頼りないものだ。しかしこの状況では、比較した場合のリスクは少しは小さいと思われる。プロペラのピッチをクライムにしようとして、何度も失敗した。慌てている。

這々の体で、2,500ftからはい上がった。オントップしたのは7,000ft+だった。かなり気分的に疲れて、東京AEISを呼び、全国放送の無線で、理由をトイレといってフライトプランを変更し、福島空港に降ろさせてもらうことにした。考えたら、何コマもシャッターを押していない。

福島にインバウンドするとき、風は330〜340度の06kt、ガストがあっても15ktとかいう情報だった。この空港は、滑走路の西側に切り崩した山があって、転移表面にそって斜面が作られているばかりか、滑走路の両端が空母のように切り立っている。これ以上の乱流を作る条件がないほどの地形条件である。

離島の飛行場、例えば長崎の小値賀(おじか)やトカラの諏訪之瀬、あるいはまともな空港であっても、この福島や南紀白浜は、なかなか覚悟が必要だ。先ほどの、大内宿へ接近したときほどのことはないが、操縦は格闘技の様相だ。

RWY01のファイナルに入ると、左45度あたりからの風は12kt、ガストは20ktに上がった。アプローチライトの上で、操縦桿はカタとストッパーまで動いたが、機体の逆への傾きはしばし直らなかった。立ち直れと祈りつつ、速度を殺さず滑走路の奥深く進入し、高度1mで減速を待ち、滑走路の真ん中付近で接地した。

大陸の気象には遠慮がないことをよく知っているつもりだ。北海道の冬の怖さも実感したことがある。でも、冬の福島も十分すぎる歯ごたえがある。疲れた。ゆっくり食事をしての帰路、操縦をまかせていたら関東平野に入ってしばらくするまでコクピットで眠りこけてしまった。

シンドイ実入りの少ないフライトだったから、目覚めと同時に、下館の北にある、圃場整備された田圃に昔ながら固まってある集落や、筑波の明野場外の近所の、旧来の川筋に倣って形成された集落を、腹いせに撮った。自然が相手だと、こんな日もある。
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