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ボクね、ちょっとした誇りなんだけど、陸単からグライダーに至るまで(といっても、それだけしかないが)、資格はAll made in USA 。一応は「入学試験」がある飛行学校に行ったけど。
以来、多くは同乗だけど、結構いろんな国で飛んで、今もって日本でだけ違和感を感じる。ジェネアビの世界標準というものが自分の中に醸成されているかどうか、自慢できるだけ外国の経験を積んだか、そこは自信がないが、やっぱりどう見ても総体的に変な航空行政の国だと思う。
でもね、と言いたい。

資格取得後、運悪く外国での仕事が無くなってきて、仕方なく日本の免許を取得したんだが、飛行機はフライト・コストが高いせいもあって、そこでコストの安価なグライダーに向かった。そのころのグライダー界は、もうひとつの異質な世界に思えた。
その印象を決定づけたのは、プラスチック機のドリーの付け方も知らないうちに、豪ベナラの世界滑空選手権のクルーとして行けたことだった。世界の頂点を見て、そこに早く接近するにはどうしたらいいか、考えた。

そのころ、わが国の動力滑空機には68馬力以下という馬力制限が法規制としてあって、輸入された90馬力のG109Bが長い間飛べないでいた。
こんな機体で日本中を飛べたら、きっと面白いだろうな、と思った。中澤さんや現エアロビジョンの伊藤さんの努力でその規制が撤廃されると、どうしたらこれを使いまくる境遇が作れるか考えた。しかしまず、日本の空に慣れなければならない。

で、どうしたか。むろん、日本の空の使い方に関する教科書なんかない。
日本の事情に疎いぼくは、ノウハウを得る機会を求め、そもそも存在しない教科書ではなく、黙って経験を積める人に頼った。
当時ベースにしていた河川敷滑空場の大先輩たちは、曳航機などで遠出して、結構ドジをふんでいたから、教えてもらう対象としては満足できなかった。正直に言って反面教師として参考にさせてもらうしかなかった。先輩には申し訳ないが、はっきり言ってお粗末で、価値はその程度とふんでいた。これが河川敷滑空の実力なのだ。かえって、若く将来の不安もあるのに、飛行機事業用を目指すクラスの若者の方が、あらゆる勉強すべき素材を提供してくれた。
席が空いていれば、そうした人の練習に、機会あるごとに乗せてもらった。これは大きな価値があった。

そうした経験をふまえて思うのは、この国の空には「官が仕切る土俵がある」、ということだ。あたりまえのことだ。その実体が見えてくると、ATCにせよ、目的飛行場の駐機場の確保にせよ、書類の作成や送付にせよ、予見が出来るようになる。先読みは、パイロットの重要な資質のひとつではないか。
予見が通って、予見通り推移すると、おお、相手である官の土俵に乗っているぞ、という自覚が生まれる。すると、官の土俵が自分の土俵に変化したように、怖くなくなる。

たしかに土俵に乗ったという自覚が生まれるまでには、だいぶ恥をかいたと思う。今でもつたないと思うことがいっぱいある。
だけど、まず第一に身につけねばならないことは、インテンションをはっきりさせて、分からないことは分からない、教えて欲しい、と明言する勇気を持つことだ。なんたって、若輩なんだし素人なんだし。
相手が(すなわち官が)、コイツに教えてやろう、と思うかどうかは、社会的な人の付き合いができるかどうか、それだけじゃないだろうか。社会一般の話だし、普通の人であればいいと思う。言い換えれば、「免許を持って、ナンボのものじゃい」ということだ。

ボクはさらに先に行ってみたかったので、乗り越える塀の高い日本の空を、もっと自分のモノにするために、いくつか自分で自分のシラバスを作った。
1/50万航空図を見ると、いかにも行くのが難しそうな空港がある。それを見て、解読、想定をする。難易度をつける。順々に、実際何年もかけて計画し、難易度の低い順にそれを攻略していった。

手続きを全部自分で行い韓国に飛んだり、那覇に行ったり、大空港や沖縄のどこでも空撮できるようになると、不思議なことに日本の空の有限感が生まれる。その有限感が、モノにしたという自覚になる。
その決め手は、土俵を仕切る人たちが、何を言ってくるか、先読みすることだと思う。
3,000時間弱飛んで、福島・徳島・あるいは離島のいくつかをのぞき、ほぼ全国の空港を訪ねた。そしてその結果は、1回だけ痛恨のプランクローズ忘れがあったが、まだCAB相手に1枚の始末書を書いたことがない。

頼るモノは、決して教科書ではないと思う。
自分で自分を鍛え、教えるシステムを自分で見つけることだと思う。努力の仕方もシラバスのひとつだ。それが中澤さんの言う「経験」ではないか。
人とのつきあいがうまくいけば、きっと見えない土俵に乗ることも次第に上手くいくと思う。教科書に頼ると、たぶんこうしたことは自分のものにならない。その前にあらゆることを想定することだ。そして上手に恥をかいて、経験を積むことではないか。

経験は、例えばATCの声のトーンに出る。管制官は、たぶん、その声のトーンだけで、対するパイロットがどの程度のものか判断する以外にないのだ。
声のトーンの作り方は、やはりどの教科書も書けないことではなかろうか。
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