g AIRWORKS
Welcome to AIRWORKS HP
HOME Turn Point 空遊録 編集長日記 Collections Contact
Back
編集長日記「海の日と護衛艦」

先週末は鹿児島にいた。 「海の日」とその前後の週末は、全国各地で海上自衛隊の護衛艦一般公開・体験航海が行われる。
1週前の11/12日には、鹿児島港(谷山港)に佐世保から「あしがら」「ちょうかい」「くらま」の3艦が来るというので出かけたのである。「あしがら」は昨年配備されたばかりの最新鋭イージズ艦である。
護衛艦の撮影は、なかなかチャンスがない。「艦の行動に関することはお教えできません」と言われるのが普通で、予定が立たない。
しかし体験航海については、1ヶ月ほど前から各地の地方協力本部を通じて発表されるから、予定が立つ。
ただし、乗りたいわけでもないし、体験航海を撮りたいわけでもない。一般民間人が甲板にあふれた護衛艦なぞ、言葉は悪いが難民船のように写ってしまい、とても「らしく」ないのである。ひとえに護衛艦らしい写真を撮りたいのだ。
だから狙い目は、最初の入港と、帰途につく最後の出港しかないことになる。
0900時入港予定だというので、11日の朝0700時、谷山港に行く。飛行場と違って港は広い。ちなみに鹿児島港は北から南へ約20kmの範囲に及び、7つの港区から成り立っている。その南部に位置する谷山港だけでも1区2区とあって、南北5kmにわたっていくつかの埠頭がある。航空機が着陸する滑走路であれば、割に簡単に撮るべき位置を見定めることができるが、どの埠頭に接岸するのか、その埠頭がどこにあるかは、なかなか分からない。
そもそも土地勘はないし、港は人のあふれた場所ではないし、道案内を請う人には恵まれない。運良く釣り人をつかまえ、「自衛隊の船は、いつも北の方の岸壁に着くようだ」と聞き、また何kmも逆戻りして場所探しにうろうろした。
あれかな、と思えた防波堤に行くと、いかにもマニアとおぼしき人、2人に出合う。車は岡山と佐世保のナンバー。「高速代1,000円だから・・・」。なるほどね。
その防波堤に上がってみると、沖合に「くらま」の姿があった。

離れて「ちょうかい」もいる。碇は降ろしてはいないが、止まっている。よしよし。
0830時には動き出すだろう。

天候は、曇り時々雨の予報。桜島は見えているが、いつ降ってもおかしくない雲の様相。タグが沖合に出て行った。こちらも防波堤の突先まで歩いていく。そこへザバザバと雨。
自衛官とカメラマン、傘持たない主義だが、雨脚強くなり防波堤の真ん中じゃぁ雨宿りもできず、機材が心配で一旦車に戻る。ジャンパーを着込んで再度防波堤に上がると、「くらま」が併走するタグとともに入港してくるところだった。
ケッ、タグなしで来いよ。
引き続いて入港する「ちょうかい」に期待する。こちらは雨が小降りになって助かった。
でも、3艦目の「あしがら」は?
入港歓迎式典や体験航海の準備をするテントに行き、居合わせた階級の最も高そうな自衛官に尋ねた。「トッピーの波止場あたりに行けば、桜島を背景にして見えるはずですよ」ととても親切に教えてくれた。
トッピーとは種子島・屋久島航路に就航している高速水中翼船で、これは鹿児島市中心部に隣接した本港区から出ている。昔、トカラ通いをしたから、こちらは割に土地勘がある。夕方にも行ってみよう。案外、桜島フェリーに乗れば、至近を通るかもしれない。

この旅は、護衛艦の撮影の他にも撮りたいものがあった。土曜日朝の入港と月曜日朝の出港の間を、何か他のタスクを作って埋めないと、文字通り間が持たない。
実際、たった1コマ必要な護衛艦の撮影だけで鹿児島くんだりまで来れる境遇ではない。滑空誌「TP」の12号を間もなく発行するという時期だったが、来年発行の13号に関連する取材も始めておかねばならない。そこで、鹿児島にかかわるものを撮影しておこうと考えたのだ。
具体的には、指宿の薩摩一の宮である枚聞神社に行き、わが国最古の井戸、トヨタマビメが使っていたといわれる玉井を探し、フェリーで大隅半島に渡り、ウガヤフキアエズとタマヨリビメの陵墓とされている吾平山陵、なかなか行けない鹿屋基地史料館に立ち寄り、神武東征のお船出の地のひとつ、霧島市福山町に鎮座する宮浦神社にも行ってみたのだ。だが、ここは社殿が工事中でブルーシートしかなかった。鹿屋史料館からのドライブが、レンタカーのナビシステムまかせのおかげで予想外にハードだったからガックリした。
桜島フェリーを使って鹿児島市内に戻る。護衛艦「あしがら」を撮るため、フェリーには桜島の溶岩原など撮って時間調整をし、日没時刻を計算して鋭い斜光を求めて乗ったのだ。残念ながら南風で、艦が南向きで艦尾側からの撮影しかできなかったが、距離的には計算通りの接近で、狙いが当たった達成感があった。

しかしこの日はこれで終わらない。結局、大鹿児島湾を一周することになったが、さらに15km走って谷山港に行き、陽がとっぷりと暮れゆく「くらま」と「ちょうかい」を撮った。平成の軍艦と昭和の軍艦、特徴に大きな違いがあるが、岸壁の灯火を発する護衛艦は、期待以上の存在感があった。

昭和vs平成は、艦影の違い以上に意味がある。米海軍からF-14を駆逐したのがイージス艦といえるからである。

翌日12日も0600時という早朝から谷山港に行った。「くらま」は前日同様、係留されたまま一般見学の役目を担うが、イージス艦「ちょうかい」と「あしがら」がそれぞれの持ち場を交代するからである。

同じイージス艦でも「こんごう」型護衛艦4番艦1998年就役の「ちょうかい」と「あたご」型2番艦2008年就役の「あしがら」では、10年の違いがあり、マストの形状など外形も異なる。
この日は、「あしがら」が体験航海役、「ちょうかい」が鹿児島市中心部に近いところでプレゼンスを示す。大昔の砲艦外交ではないが、軍艦には見せる威力、そこに居るだけで物事を伝える威力が備わっている。内に向けては、防衛力に対して安心してほしいというアピールだろうか。

「あしがら」は0715時には防波堤前を通り、その後予定通り接岸。早朝の海の色が強調するにたる赤味を帯びているし、何よりもフルサイズ・デジタルで 24mmでもあふれるような艦影に来た甲斐があったと思った(8596)。
軍艦の撮影は、なるべくアングル低くワイドがよい。可能ならば艦橋ではなく、船体が水平線を遮るくらいの低さ。そして近いという距離感がほしい。空撮も悪くはないが、ドヘタな空撮をすると、「敵艦見ゆ」のID(アイデント)写真のようになって、偵察写真の雰囲気になりがちだ。
この日の「神話取材」は、県境を越えて高千穂方面。鬱蒼とした杉並木(これは凄い)の参道がある狭野神社、霧島東神社、標高ほぼ1,000mの高千穂河原などを訪れ、夕刻には縄文定住遺跡の上野原に行ってみた。
日没近くには本港区に行った。鹿児島港本港区はターミナルも埠頭も一新され、ウォーターフロントとしてここ10年で見事に整備されている。トカラ通いをした当時、年度末異動する教師たちが、深夜にそれまでの勤めた学校の在校生に見送られ離島に赴任する際は、まるで出征兵士の見送りのようであったが、そんなトカラ通いをした頃の暗い波止場の面影はない。駐車場がそこかしこにあって、最初の1時間は無料というもの助かる。
奄美へのフェリーが接岸している先に行くと、桜島を背景に「ちょうかい」が浮かんでいた。フルサイズ300mmだと艦影の画面のおさまりはちょうど良い。

だが、画的に何か食い足らない感じがするので、駐車場が1時間無料をいいことに、再び桜島フェリーに乗って往復することにした。
前日、スズキ・スウィフトを乗船させたときは片道1,050円だったが、人間だけだと150円だ。

最近のカメラの増感特性を頼りに、フェリーのデッキから日没過ぎの空に残ったニブイ光りのみを使って撮る。

刻々と明度も彩度も変化していくのが面白い。

翌朝も0530の桜島便フェリーに乗り、すぐUターンして朝日を浴びる鹿児島市街を背景にする「ちょうかい」を撮った。

錦江湾奥を往復したら、ただちに谷山港に走る。

谷山港では、0740時には「あしがら」が動き始めた。

やはり目の前を24mmでもあふれる姿を見せて出港していく。

0800時には「くらま」も出港した。

空港に行く前に国分(霧島市)の高台にある上野原遺跡の展示館を見ようとしたが、残念ながら休館日だった。月曜日であることを失念していた。鹿児島神宮にも行きたかったが、もう許された時間はなさそうだった。
護衛艦の写真は、このようにアマチュアと同じベースで撮ったものだが、8月末には販売開始予定の『DEFENSE FORCE 2010』カレンダーに掲載される。どこかの基地祭で見て頂けたら嬉しい。



TOP
TOP | about AIRWORKS | 通信販売について | Contact

Copyright Hiroshi Seo All Rights Reserved