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5月2日は、フライトはお休み。
Nikonのデジタル画像編集ソフト、Capture 4 を使っていて、また新たな機能と能力を発見し、昨年撮影してミスった写真が生き返るのではないか、と夢中になって作業していたら、終電が行ってしまってタクシー帰宅になってしまった。

フィルム時代は、露出オーバーは何があっても禁物だった。デジタル化して撮影の露出はマニュアルからプログラムを主流とするように変わったが、たまたま設定ミスで、丸1日1.5絞りはオーバーの、どうしようもないジャンクの山を作ってしまったのだ。そして、そういう時ほど残したい絵がある。
それらは主としてグライダーの絵ではあったが、グライダーって白い。その白こそが曲者で、白さの中に階調が残っている必要があるが、露出オーバーだと、白さの中の微妙な色や明度の変化がみんな抜けてしまう。

今まで画像の修正を図るソフトはアドビのPhotoshopだった。これでは救えなかったものが、Capture 4 ならば追加RAW調整やLCHエディター、トーンカーブ、D-Lightingなどの内包された機能を組み合わせて使うことによって、回復出来るものも出てきたのだった。機能と技術の発見。次から次へと画像をいじってみた。なるほどという納得の上に、その技術を自分のものとして定着させたい意欲が続き、翌日の飛行場へのショーアップが早いことも忘れて深夜まで狂ってしまったのだった。

この歳になって、仕事上のこれほどの技術革新に見舞われるとは5年前さえ想像も出来なかった。状況について行くのに必死だし、勉強しなければいけないことは山のようにある。

たぶん、グライダーにおいても、プラスチック化、高性能化なんて同じことだったんだと思う。
道具を自分のものに取り込もうと努力しない。どんな道具でも、基準の真ん中を歩んでいれば、まず怖い目に遭わないで済むのに、自分のものにしたという実感がないと、端っこが認識できずにこぼれ落ちてしまう。そんな印象を、いくつかの滑空機事故にボクは感じている。写真では、きちんとした色、あるべき画像を考える。自分に確たる基準があれば、新たな技術の習得で、段差なく歩んでいける。まずは出来ることと出来ないことを知ることが大事。知らないこと、分からないことがあれば、分かっている人に素直に聞く。許容の範囲で実験してみる。デジタル写真ならば、いくらでもやり直しがきくが、飛ぶことじゃぁ・・・・ね。



5月3日は、長野に直行した。09:39に離陸して、1時間19分。直線的に、浅間の対極にある四阿山の脇を抜け、長野に降りた。

浅間北面を通過するとき、翼クンが眼下の耕作地を見て、あれは何だと疑問を持った。

「高原キャベツじゃないのかなぁ。『つまごいむら』は、それで有名じゃないか。ところで、この間TVを見ていたら、石原良純が、あの地名を漢字で書いてみろと迫られていたなぁ。アンタ書ける?・・・・需要の需に女ヘン、それに恋」

第12代景行天皇の皇子、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征では、相模から下総に渡る際に海が荒れ、船が沈没の憂き目に遭ったとき、妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)が「私がお怒りになっている海神様の所へ参ります」と言って海に飛び込み、自らの命と引き替えに嵐を鎮めたのであった。その後、常陸、甲斐、と進軍した日本武尊は、信濃に向け進軍する際、碓日坂(鳥居峠)にさしかかって東南を振り返り、亡き妻を追慕のあまり、「吾嬬者耶(あづまはや)」(ああ、わが妻よ、恋しい)」と泣いたのだという。その故事・神話にちなみ、この村は嬬恋村という。

その先に四阿山。四阿山も、その読みが一般では分からない。当然翼クンにテストしてみた。ん? 正解は「あずまやさん」。
あずまやとは、簡素な小屋のことだが、この山も四角い屋根のような山容である。さらに、ここではもちろん嬬恋村がそうであったように、日本武尊の東征神話とも無関係ではないだろう。やがて「あずま」は、我妻、吾妻、であるとともに東を意味することになったという。


長野滑空場に降りて、この日飛ぶ人たちの動向を見ていたら、大利根のタヌパパから電話。新聞の取材の問い合わせがあって知ったんだが、JA201Xが但馬で離陸直後に墜ち、搭乗者2名が死亡という。201Xなんて、PICで飛べる人はオーナー以外に知らない。それなりに腕は確かなはずだ。何があったんだろ。
え、エンジン突然停止直後のスピンだって? ピッチアップ、低速、パワーを喪失しさらに機速の抜け、飛行場に戻ろうとする願望と旋回の開始、そして揉んだのか?
機体の準備をする人たちと、ただ顔をしかめるばかりだ。

搭載エンジン、Rotax 912/914の系統は、伝統的レシプロ水平対向エンジンとは設計思想が異なる。それが新しいということなんだろうが、電気仕掛けでありすぎ、トラブル・シューティングが容易ではないようだ。側に機体があればボクも乗るだろうが、きっと一生あのエンジンには馴染めないだろうという気配を感じる。

この日は、韮崎から上がるLS8+DG-300、長野から上がるDG-505、DG-800、Discus 2などが八ヶ岳、南アルプスに飛ぶのが狙い目で、撮影機は飛騨エアパークに最終的に停留とし、夕刻は乗鞍周辺でも撮ろうという算段だった。
着陸することもあり、飛騨に電話すると、15:30まで曳航機の飛行は自粛だという。近隣の古刹、千行寺に法要があるためだ。

「曳航機は飛べませんが、動力滑空機は飛行自粛の対象にはなってませんので、来て下さい。ただ、乗鞍の上には機体はいないと思いますが・・・・」
「ところで、201Xのオーナー、亡くなったって?」
「彼はピンピン生きてますよ。今、ここにいます」
「えっ、じゃあ誰が? 事故の概要はどんなんなの?」
そこでようやく全貌を知ることになったのだった。

長野に飛来するとき、浅間あたりから見た北アルプスの様相は、不思議と平らであった。群馬から長野に入るくらいのところで必ず見える尖って目立つ槍ヶ岳も、全く見えなかった。かわりに3,000mを切るくらいの高度をベースにする濃い逆転層が見えていた。
「結構、午後遅くならないと、ブレークスルーしないかもね」
その逆転層は地上からは視認できないものであった。

「丸ちゃんたちは、もう上がるのかな?」
「北アルプスへは、今日は無理という判断らしいです。八ヶ岳・南アルプスならって言ってますが・・・」
「長野には本田のディスカス2がいるねぇ。これも山の中で撮りたいねぇ。何?篠原さんはクラブ員のチェックウアウトでASK21の後席に縛られてるって・・・・、昨日だか一昨日だかには、どこやらの温泉の駐車場にいたという(グライダー・トレーラーとともに家族サービス?) 田上さんのDGは、そろそろ離陸しそうだな。磯谷クンの乗る万場号505MBや、石山さんのbTは? bTはウィンチでもう上がっていったんだな。おお、上空でエンジンを掛けてるな。ちょっと早い気がするが、ほな、こっちも上がるか」

みんなの動きを横目で追いつつ、12:34に離陸した。
ここの多くのグライダーがそうするように、尾根を伝い、エンジンの上昇力の2倍程度のクライムレートで上がっていく。

6,000ftを超えて、菅平の上空。出来かけの積雲、山の上のパフの底の高度がまちまちだ。何だ、これ? 複雑なコンバージャンスなのか。
本田のディスカス2が眼下で回っている。
「サーマルのコアはそっちか? 斜面の影響を考えると違うような気がするが・・・・、」

上から見ると、まだ山からの高度差が大きくないので、余裕がなさそうだ。撮るよ、と声をかけても動けまい。

そこで、122.6MHzで菅平から丸ちゃんAAに呼びかけた。金峰山から八ヶ岳には入っている。それなら、まず撮れる八ヶ岳に向かおう。


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