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装飾古墳は全国に484例があるが、うち186例が熊本県に集中している。その図柄は、最初は抽象的な、呪術性や宗教性を物語る直弧紋、円紋、三角紋などだが、時代を経て弓、楯、刀、人物など具象的になっていく。これは熊本県立装飾古墳館に展示された、赤色顔料が残る人物埴輪頭部。熊本県では形象埴輪、なかでも人物埴輪の出土例は数が少ないという。 弁慶が穴古墳の装飾のレプリカ。太陽と人物と馬を乗せた船団。文字のなかった古墳時代だが、その紋様から人々の考え方や社会の仕組みを類推できるところが装飾古墳の面白さだろう。
チブサン古墳石室レプリカ。玄室奥壁にそってある家形石棺の、中央の二つの目のような図柄から乳房、ひいてはチブサン。
墳頂に虚空蔵菩薩が祀られていたことから虚空蔵塚古墳という。帆立貝式の前方後円墳。
墳丘に木々が茂る江田船山古墳。全長61mの前方後円墳で、驚くほど多様な副葬品が出た。中でも銀象嵌をもつ太刀の75文字は日本最古という。
発掘後再整備された、装飾古墳の源流といわれる47mの塚坊主古墳。上空からは目立つ。
田原坂の官軍墓地。墓碑には軍夫誰それとある。西南の役は、明治10年、西郷隆盛率いる薩摩軍と熊本城救援の政府軍とが激闘し、3月4日から20日までに死傷者35,000名を出した日本最大最後の内乱。
薩摩軍には10代半ばの兵士も数多く含まれていたという。
田原坂。この道が、この丘に火砲を運搬できる唯一の道だった。
天草架橋を渡って上天草に入ると、天草四郎メモリアルホールというのがある。天草・島原の乱の少年総大将は自由と平和のパライソを夢見たというが、その殉教性から郷愁を呼ぶのだろう。ホールには瞑想の部屋があった。
本渡市にある天草切支丹館に所蔵されている天草四郎陣中旗(重文)。原城本丸にひるがえっていた旗で、大聖杯と合掌する天使が描かれている。
明徳寺の石段。十字架が刻まれたところがあるというが。 明徳寺本堂のとびら。
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