Welcome to AIRWORKS HP
HOME Turn Point 空遊録 編集長日記 Collections Contact
Back
富士川にグライダーを撮りに行く

「日本の滑空機図鑑」では、現用全機種網羅とともに全滑空場をも網羅したいと欲を出している。阿蘇牧場の北九州GCのASK13や、久住の九州の大学航空部関係、防府の中国航空協会の機体などを撮っておかねばならない。だが、それにとどまらず、岡山のTaifun、中部日本航空連盟岡崎のASK23など、気になる機体もある。
近場では、静岡県航空協会がフリートの内容が様変わりしている。L23ブラニクが、いつのまにかASK21に代わり、単座機はB4からPW-5やSZD-51になっている。

静岡の富士川には昔も昔、L13が2機あった時代に撮影に行ったことがある。1970年代中期か、戦前の1級滑空士、中野徳兵衛さんがお元気で飛んでおられた頃だから、現在のクラブ員の大半は、その時代を知らないはずだ。
ボクはまだ、その頃は28mmを付けたライカM3で撮影することがあった。だから覚えているのだが、その作例のひとつがL13の2機曳航の写真である。1機のスーパーカブが一度に2機のL13ブラニクを引っ張るのである。長い索を使う、したがってやや後方にスタックダウンして曳航されていく機体の前席に乗せてもらい撮ったものだ。画面下部にブラニクの計器板、中央に曳航機と小さく富士山、上部にもう1機のブランク、という縦位置写真だが、その時の後席が中野徳兵衛さんだった。

11/25に富士川に行くことにした。空撮要員はソルジャーにし、前日に少し練習をさせた。実際に短いフライトで、1回目はDuoDiscusを相手に直線飛行で12分、2回目はSF-28Aを相手に緩旋回で18分しか飛ばなかったのである。
飛んでいる機体の脇に行くというのは、どう考えてもリスクが高く、誰もが緊張する。緊張の中で物事が効率よく覚わるとは思えないので、長時間はしない。しかし、繰り返しの練習の回数が必要だ。ちょっとずつ沢山やって、機体の相互の動きを身体に染み込ませてもらうのがよい。
SF-28Aの撮影では、比較的格調の高い絵が撮れたので、JMGCのHPに掲載し、こんなコメントをつけた。

10数年前、北海道は別海の原野で、離着陸するG109Bを「飛びてぇなぁ」と指をくわえて眺めていた中学生がいた。彼はその後、海上自衛隊の護衛艦で航海する生活を送り、退官後はかなり苦労して、少年の夢を果たすべく自家用操縦士となった。水兵さんならばセイラーだろうが、飛行場ではどういうわけかソルジャーと呼ばれている。
「ソルジャー、空撮要員がちょっと足らない。編隊飛行の練習をしてみるか?」
タヌパパがタブとSF-28Aで散歩にいくというので、ちょっとの間、旋回を続けてもらい、それに付く。当然のことながら、ノメる、離れる、おいていかれる。緊張して操縦に一生懸命になりすぎると、インターコムのボイスも出なくなる。
「お互いの理解の確認のために、ちゃんと声を出せ」
これは、空撮パイロット初体験での1コマ。絵的には成果が出ている。ソルジャーだから鍛えられることに慣れているだろう。これからビシバシ・・・・

これを読んだソルジャーは、「げぇ、マンマじゃないですか」と言った。「ウソは書かないもんね」
でも、書かなかったこともある。艦を降りた後、彼は中学時代に別海でお世話になったJMGCの山本教官を探すことにしたらしい。しかし、何の手がかりもなく、どうやら利根川のどこかの河川敷で飛んでいるらしいという記憶だけを頼りに、横須賀からバイクを走らせ、迷いに迷って大利根飛行場にたどり着いたというのだ。持続する憧れと、頼れる人との絆、そして原野を走り回っていた子供は成人しても強い、ということに感心したのであった。

「明日は0730ショーアップ、0830離陸で富士川に行くぜ。資格ある自家用操縦士だろうが、NAVのプランも考えておいてくれ」
「え、私がですか? 1回も外に出たことがないですが」
翌朝飛行場に行くと、区分航空図に線を引いていた。大利根から鎌倉へ一直線、そこでラインは折れて富士川へ。
「オマエなぁ、マジで羽田の特管区を突っ切っていくのかよ」
「上限4,000ftなんで、上を行こうかと・・・・」
「管制官に、ジャマだから即座に8,000ft以上に上がってくれ、って言われたら、この機体で対処できるか? そもそも羽田に行き着くまでに5,000ft、6,000ftに上がれる機体かよ? 下に行くんだよ。海面をなめて500ftで海ホタルを通っていく。それができなきゃ、貰った免許を返上してこい」

離陸して千葉市上空、羽田のTCAを呼ぶための前提としてATISを聞く。
「分かったか? え、理解できない? 参ったなぁ。ATISも聞き取れないで、特管区の上を行くなんていう了見は許せん。日本人英語で苦労するなら、横田のAPPなんかどうするんだよ。後で聞かせるからな。横田が理解できないと、関東平野を東西には飛べないぜ」 江ノ島を過ぎて横田APPをモニターする。目が点になっている。
「だめだぁ、手も足も出ない。何にも分かりません」
慣れるより方法はない。
「通勤のときも、出歩くときも、エアバンド・ラジオを聞いていろ」
正面に箱根。
「で、どこを越えていく? その時の高度は? その理由を述べよ」
「は?」
「は?じゃねぇだろうが。ディシジョンには理由があるだろうが。なぜか、という理由。それを考えないで、何も自分で決定しないで飛んでいるのか? よう、そもそも我々はどこに居るのかね。小田原はどこだ? 熱海はどこだ?」 「小田原は・・・・あそこ」
「で、このHDGでいいのか? 相模湾の海岸線は大きく湾曲しておる。そのカーブにつられるなよ」
いっぱい教えなければならないことがある。なんたって、初めての遠出だ。 昨日も山本教官が言っていた。
「ソルジャーはアッタマは悪いが、操縦のセンスはとてもいい。素直なヤツだから鍛えてやってよ」
頼られた教官は弟子が可愛いから辛辣だが、飛ぶことの知性と学業の優秀さは別の場に置かれたものだ。これは慣れれば解決する問題だ。結局すべては性格が支配するということが一番正しい。
狭い機内で懸念な点を指摘すると、うじゃうじゃ弁解を始めるヤツがいる。「だったら最初からそうしろ、ハイは1回でいい」と言いたくなる相手なら、これはこちらが疲れるし、一緒に飛ぼうと声をかけたくなくなってしまう。誰しも回数飛べばうまくなるのだ。回数飛ぶ機会を得られるかどうか、これがひとつの分岐点だ。

1000には、と言っていた富士川には0952に到着した。空撮をアレンジしてくれた、みや子さんが待っていてくれ、その方法を相談をした。静岡県航空協会には曳航機の他にセスナ172がある。淳爺がそのうち来るから、パイロットもいる。G109Bでは右後ろからしか撮れないが、撮影窓のあるC-172ならば前からも撮れる。そうするとソルジャーの出番はないかもしれないが、前から撮れる機会には前から撮りたい。
そして淳爺登場。20歳すぎには旧帝国海軍の一式陸攻の機長だっという、日本のジェネアビ界の名物パイロットだ。今年86歳。
淳さんが今のボクよりはるかに若かった頃、だから40年ちかく前、当然ボクは免許など持っていない頃であるが、調布などでずいぶんお世話になった。小型機の空撮、地上物件の斜め写真、修練を積むべきときに、何度も乗せてもらったのだった。
でも、いまや86歳だ。飛ぶ意欲は全然衰えていないようだが。

「淳さん、たっての頼みだ。C-172でグライダーの前に出て、機影の背中を見せたいから、旋回の内側で撮りたい。普通の編隊なら、後続機がテイク・リードする機体に付くのが当然だが、グライダー・パイロットでその経験がある人は限られている。昔やってもらったように、撮影機の方で間合いを合わせて欲しい。後ろを向いて操縦して、ってことです」
「瀬尾君も、何年経っても無茶な要求をしてくれるなぁ」
とは言いつつも、ご機嫌だ。
しかし、ちゃんと撮れるかなぁ、と疑いの気持ちはぬぐえない。なにせ、旋回の内側に、はるかに高い速度が要求されるC-172が入るのだ。後期型は重く、舵も重い。被写体のグライダーに120km/hで飛んでもらっても、撮影機はストールする可能性がある。これは、名人とか経験とかとは無関係な物理的な要素である。決め手は、速度差を最小限に抑える被写体機との間合いだ。しかし、成功したときの絵を想定するに、可能性がないわけではないからトライしたいのだ。

小型機やグライダーの空撮で非常に難しいのが、決めた背景を入れて撮るということだ。

富士川河口にある滑空場だから、しかも雲ひとつない絶好の撮影条件だから、そこに大きな富士山がある。この前の雪が消えてしまったことが残念だが、当然富士山を背景に、ということになる。
そのため、撮影機と被写体機の位置関係から直線飛行のHDGを決め、とりあえず富士山背景の1コマを得る。次には右旋回し、大きく回ってから、再度富士山を背景にしつつ、今度は旋回中の背中を撮る、ということにした。直線飛行の絵は確実に撮れるだろうということで、バックアップだ。

3,000ftまで曳航されるASK21に接近していく。
「間合いはこんなものか?」
「いや淳さん、この1/3だ。昔やったじゃん」
曳航で右旋回していくASK21に寄って撮れるポジションにつくと、ストール・ウォーニングが鳴り始めた。
「背景が生きるとき、必要のあるときだけ、寄ることにするわ」
ま、仕方がないか。自分で決めたヤバイ局面に、この人は絶対近づかないのだ。だからこの歳まで生き延びているのだろう。
それにしても、離脱後の右旋回で撮ったとき、外側のASK21は150km/hだったらしい。被写体機はよくついてきてくれたものだ。写ったどのコマも、やたらにノーズダウンしている。

空撮の結果は、富士山が入ったかどうかでいえば、ASK21、PW-5、SZD-51と3機撮って2勝1敗だった。いや、頃合いに離陸してこなかったSF-25Cもあるから、これは不戦敗だ。 もう1回飛ぶか?という声もあったが、しかしすでに1400が近い。地元の人にはちっとも気ぜわしくないだろうが、なにせ日没が1625の大利根だ。余裕が欲しいから、その1時間前の帰着を考えると、そろそろ帰路のプランを入れる時刻になっている。離陸して帰路につく前に、帰りがけの駄賃のように、撮れなかった機体に再度上がってもらい空撮をする、というのが妥当に思えた。ならばソルジャーの出番だ。

1408富士川離陸。離脱したPW-5にジョインナップし、富士山を見てHDGを少し修正してもらい、撮る。速度域がさほど変わらない機体同士だから、すべてにおいて制御しやすい。間合いも全然近い。
「ソルジャー、ちょっと前へ、ほらパワー、ボケッとしてるとノメるぞ。ほらアイドル」
とインターコムで指示しつつも、右手でカメラ、左手で被写体機をリファレンスしてダイブを瞬間的に使い、1m、2mの高度差を直す。
「ひえ〜、難しい。動き出してから直したんじゃぁ遅れますね。そのタイミングが分からない」
「2回や3回やっただけで分かってたまるか。オレは習得するのに10年かかった。それを1年2年で使い物になるようにしてやる。覚悟しろ」

さっさと空撮を済ませ、HDG大利根。ルートは往路をなぞるようにした。逆順で再び同じ事を経験させた方がよいと思ったからだ。NAVは、アッタマがどうでも頭を使う要素が多い。
「いいか、免許なんざ、この世界への入場券だと思え。やたらと考えなくちゃならん事があるだろ。今回はそれを知ったことが収穫だ。実用に耐えるように勉強してくれ。オレが眠っていても、何事もなく目的地に到着できるようにしてくれ。頼んだぜ」


TOP
TOP | about AIRWORKS | 通信販売について | Contact

Copyright Hiroshi Seo All Rights Reserved