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We Love SOARING 2012


2012版カレンダーは撮影者の大好きなVintage Gliderです。
「最近のカレンダーには、ヴィンテージ機が載らなくなりましたね」。長年グライダー・カレンダーを愛用して下さる方の、そうしたご指摘があったり、作り手として時には作家的リセットもしてみたいという思いもあり、そもそも好きな世界ですから、今回は全編ビンテージ機としました。 歴史的価値の高い機体ばかり。存在の背景を知ると、さらに興味がつのります。ご興味がありましたら、9月20日発売の月刊『航空ファン』11月号に、ドイツにおけるグライダーの隆盛期における様々な歴史的リンケージについて、少し記事を書きましたのでご覧下さい。

じつは今回のカレンダーは、この夏にオーストリアで行われたVintage Glider Rallyで、そのすべてを撮影しました。快晴の撮影好適日は2日半しかなく、一時はかなり心配しましたが、仲間意識に包まれたおけげで、ほぼ想定どおりのことができました。その意味でこの大会は、個人的にもなかなか意義のあるものでした。いわば、ひとりで行う国際交流です。詳しくはPDFのTPnews16「編集部近況」をお読み下さい。 Vintage Gliderへの一点集中が、さしたる営業もせずに、このカレンダーのドイツへの輸出つながりました。過去に機体輸入商社の一員であった経験をふまえると、機体にせよパーツにせよ、受け入れるだけではつまらないと思うのです。こちらからも出て行きたい。たとえ、とりあえず300部であったとしても、ひとつの念願がかなって、個人的には非常に嬉しいのです。

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サイズは340mm×450mm。表紙+各月1枚・計13枚の写真で構成しています。
料金は通常1冊2,200円(送料別)ですが、10部以上ご注文いただくと1部2,000円にディスカウントし、送料も無料でお送りします。

10部以下のご注文には、パッケージ料を付加した以下の送料が必要です
関東・信越・南東北・北陸・中部=840円
北東北(青森・秋田・岩手)・関西=940円
中国(岡山〜山口)=1,050円
四国=1,150円
北海道・九州=1,260円
沖縄=1,360円


代表者の名前(ふりがな)、郵便番号、住所、電話番号、購入冊数、宅配便での希望配達時間を忘れずに!





COVER DFS Habicht E / D-1901
 1936年のベルリン・オリンピックでの飛行展示を目指して開発されたガル翼の曲技滑空機。一定の滑空性能を持ちつつも、背面系、スナップ系等、考え得る全曲技科目を制約なくこなすよう、スパンは13.6m、機体強度は12Gであった。実際にオリンピック主会場では、4機のハビヒト(うち1機は女性操縦士ハンナ・ライチ)が上空で演技した後、観客スタンドより低い高度にダイブし、引き起こして会場外に去ったという。この時の機体も主翼上面にはサンバーストが描かれたいたが、赤ではなく青であった。第2次大戦期には、スパンを8m、さらには6mに縮めたスタンメル・ハビヒトが作られた。これはロケット戦闘機Me163の操縦要員教育用の機体で、双発戦闘機Me110により高高度に曳航され、ダイブしつつ射撃照準の訓練等に使われた。スタンメル・ハビヒトの超過禁止速度は450km/h+、着陸時の接地速度は260km/hだったという。


1月 Jacobs Hols-der-Teufel / OK-A415
  Hols-der-Teufelとはドイツ語のスラングで、「悪魔のしわざ」である。アレキサンダー・リピッシュによる原型機誕生は1923年である。このときスウェーデンの練習生が2人、練習費不足を補うためワークショップで働いていた。作業に失敗すると自国語でDjaevlar Anammaと悪態をついた。それ何? へぇ、Devil take itか、というわけで、本機には「悪魔のしわざ」が定着したのであった。
 リッピッシュ・バージョンは1928年にハンス・ヤコブスによって改良され、製造図面等も出版され、ドイツおよび周辺国の当時の主流練習機となった。撮影したVGC Rallyでは航空機曳航も、専用ウィンチによる曳航も、バンジー・ローンチも行われていた。標高100m以上はある「丘の上」にどうやって運ぶのかと興味を持っていると、ゴム索要員が待つ山頂には、ウィンチで上がって、自らちょこんと着陸したのであった。


2月 Breguet 905S Fauvette / D-1484
 ブレゲー、久しぶりに懐かしい名前を聞いた。1911年に操業開始、1971年にダッソーと合併したフランスの航空機メーカーである。本機はレシノでの世界選手権を目指し誕生したStdクラスのVテール機で、原型機初飛行1958年。同社最後の滑空機となった。Fauvetteはウグイスの類の鳥である。ラダー操作だけでバンクターンができた。構造的には、プラスチック機時代到来の夜明け前の木製機で、翼前縁の2層0.6mm厚合板を雌型真空成形した8mmのクリーグセルで補強するなど、次の時代を予感させる構造を持っている。そして片翼重量が34kgと非常に軽い。胴体は中央部が鋼管構造、前部がプラスチック、後部が木製である。1969年に曳航中にVテール部を吹き飛ばす事故があり、以後残存機は非常に少ない。


3月 Göppingen 3 Minimoa / BGA-1639
 Gö3については、滑空史上の本機の存在意義や、なぜ世界的に格別の憧憬を集めるのかについての言及がないにもかかわらず、飛行可能な機数は「世界に3機」が定評になっている。その3機の中に英国籍の本機は含まれていただろうか。現在ミニモアは博物館保管機、個人所有機合わせて世界中で9機が現存する。誰かがその気になれば耐空性を回復するものもあるし、飛んでいても十分な整備をしなければ飛べなくなる機体もあるだろう。また、オーストラリアでは新たな製作も行われているという。飛行可能機の数は流動的だが、残存機の半数は復帰の可能性をもっているのではないか。。


4月 Hütter H-28U / D-8223
 ウォルフガングとウーリッヒのヒュッター兄弟は、1934年にアルプス・ソアリングをする目的で、スパン10mに満たない、小型版グルナウベイビーというべきH-17(後のGö5)を作った。
 その2年後、高性能化を狙いリファインした形態のH-28を作った。これもスパン12m、全長4.76mの小型機である。垂直尾翼など大丈夫かというほど小さい。しかし本機の胴体幅は最大部で1.32mある。翼胴接合部をブレンデッド・ウィング様に両外側に伸ばし、きつめのコクピットに座るパイロットの、肘部分のスペースを確保している。また本機は、一体成形プラスチック・キャノピーを装備した最初の機種でもある。狙う滑空比は28であった。翼型がやや薄くしたGö535であったから、滑空比は実測値で23.4に留まった。だが後年の改良型H-28Vでは、機体をやや大型化(スパン13.5m)し翼型を変えた結果、27.2を出している。


5月 Focke-Wulf Weihe 50 / D-3654
 1930年代後期、最も高性能かつ豪華な機体は19mスパンのライハーであった。だが、当然高価で、どのクラブでも導入できる代物ではなかった。そこでヤコブスは、構造を単純化した18mスパンのヴァイエ(ワイエ)を誕生させる。これは非常な成功作となり、NSFKによりヤコブスの工場は280機もの量産指令を受け、各地で生産されることになった。そして、滞空55時間51分、獲得8,050m、さらには59年には獲得9,665mなど、各種の世界記録を更新し、戦後も各国に残った。そして伊仏英など各国が開発する機体に多大な影響を及ぼした。
 ちなみに1950年の世界選手権で、あのマクレディ・リングの考案者ポール・マクレディが2位に入ったのもヴァイエであった。初飛行から16年後の1954年にも世界選手権で使われている。
 1952年、フォッケウルフが再生産した。これをヴァイエ50という。短くなったエルロン、主車輪の装備、プラスチック風防など、改修点は小さい。


6月 PIK-5c / OH-188
 1946年にフィンランドで誕生した構造簡便、みかけより高い性能を持つ練習機で、基本曲技も可能ながら、ナセルを外してプライマリー機のようにもできた。全備自重123kgと軽く、小さなサーマルでも小回りでき、ヴァイエなどを抜き去る上昇も見せたという。1951年には188kmの距離飛行も成功させている。


7月 DFS Meise(Olympia) / D-7380
 さて、2012年はオリンピック年である。それに因むマイゼはないかと思ったら、機首に5輪を描く機体がいた。1936年のベルリン・オリンピックではグライディングは公開競技であったが、現在のIGCに相当するISTUSはIOCに働きかけ、1940年(幻の東京)オリンピックでは滑空を正式種目とすることに決まった。ただし、純粋スポーツの観点から統一機種での競技が企画され、そのための設計コンペやフライオフが行われ、1939年にマイゼが選ばれたのであった。スパン15mという枠、ヴァイエを簡素化しどの国でも製作可能な構造、しかし160kg以下の自重、220km/hに至る許容速度、木製機の粋といえる中身が決まったのであった。


8月 Scheibe BergfalkeU / SE-SYO
 ドイツにおける戦後航空再開をめざし、いち早く機体をまとめたのが、戦前からアカフリーグ・ミュンヘンのリーダーであり、鋼管羽布張り構造に先鞭をつけ、30年代にMu.10、Mu13Dなどを送り出してきたエゴン・シャイベであった。これは単座の成功作Mu-13Dを1951年に複座化したもので、機名をサブタイプの変更のみに留めMu13Eとしている。原型機は航空再開の年の8月にワッサークッペで飛ばすことを目標に、オーストリアで製作された。そして実際に、博物館収蔵のMu10を引き出し、共にワッサークッペに運び飛んだのであった。
 中央配置の主翼であるから、主桁キャリースルーが後席を貫通することになるが、桁の根本をY型にして鋼管スペースフレームをうまく作ることにより、後席搭乗者を避ける工夫がしてあった。翼型も低速に強いシャイベ独自のもので、機体価格も安価で人気を博した。53年には、主翼の前進角を増やすことにより翼根の複雑な構造を廃し、スパンを16.6mに短くしたベルクファルケUを登場させる。55年にはモールドした風防にリファインしたベルクファルケU55も誕生したが、UとU55で300機以上が生産され、うち70機はスウェーデンでライセンス生産された。写真の機体はスウェーデン籍である。下をVT-116が飛んでいる。



9月 Rubik R-11b Cimbora / HA-5035
 1939年にハンガリーでは、B章取得者に対する飛行機曳航など、さらなる練習ができる複座機を求められていた。技術大学航空部の会長が要求をまとめ、ハンガリー航空協会が発注し、エルノ・ルービックが設計し、Aero Ever Kft.(株式会社)が製造し、1940年5月に原型機初飛行となったものである。b型以降の愛称チンボラは、相棒・親友といった意味。スパン15m、翼型Gö549、高翼配置の主翼は2本桁で7.5°の後退角をもっている。各サブタイプ合わせ62機が作られ、リッジソアリングの練習にもよく使われた。42年には滞空20時間44分、48年には25時間07分の記録も作っている。


10月 Slingsby T31 Tandem Tutor / HB-557
 英空軍教育集団(ATC)が1951年にCadet Mk.3の名で131機採用した練習機で、1937製のTutorを複座化したもの。民間にも広く販売され生産数は200機を超える。英空軍は第2次世界大戦初期から入隊前の中学生高校生世代の若者教育に非常に熱心で、地方地方の基地にグライダーを配備し、隊員のリクルートとコースに乗る前の操縦要員の見極めを行っている。また、操縦教官の頂点に立つ何人かは、世界選手権や欧州選手権で勝つことととされている。現在もそれは続き、ASK21、TwinVAcro、G109Bなどが使われている。また、在籍航空機が数機のグライダーのみしかなく、滑走路はグラスのまま、という基地も多数ある。


11月 Focke-Wulf KranichV / D-8543
 戦後、ハンス・ヤコブスに接近したフォッケウルフはヴァイエ50(5月に掲載)を生産するが、新しい複座機の需要が高いと見たヤコブスは、新たな複座機を実現したかった。名前こそクラニッヒだが、中身は全く異なる機体。主翼はヴァイエと同様だが、複座機のためやや前進角をもち、18.1mスパン。ダイブブレーキはDFS形式からシェンプヒルト形式に変えている。自重は330kg、全備重量で550kgであった。試作機は50年に誕生したが、女性で軽いハンナ・ライチが搭乗する場合は、機種に15kgのバラストが必要だったという。また、ラダーのバランスの悪さも指摘された。各種の改修を受け、1952年に生産が開始された本機は、マドリッドの世界選手権で2位、3位、7位に入っている。


12月 Slingsby T13 Petrel / BGA-651
 ドイツで定評の高いレーンアドラーを模した、しかしガル翼の高級機が欲しいという顧客の要求に対し、英国のスリングスビーが応えた機体。構造面では当然レーンアドラーに範をとっているが、同社の支柱つきの前作Kirby Gullの経験を生かし、その味付けを少しスタイルに残した機体として1939年に3機製作された。スパン17.345mだが200kgの構造重量に抑えている。2機が現存。
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